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東風(こち)

東風(こち)とは、菅原道真が詠んだ和歌から取られた言葉です。
菅原道真は、平安時代の貴族であり、学者でありました。現在では「学問の神様」として慕われ、福岡の大宰府天満宮を始め、様々な天満宮に祀られています。
菅原道真という学者が、なぜ神様になったのか。
道真が学者の身分でありながら、政治にまで関与して右大臣にまでのぼりつめたことを快く思わない人達が道真を陥れ、道真は大宰府に左遷させられました。左遷させられた後に、京都で疫病が流行ったり、清涼殿に雷が落ちるなどの自然災害が起きました。これは、道真が左遷させられたことによる怒りから起きてるに違いないと恐怖の対象となっていきました。このことから、怒りを鎮めるために道真の死後に神様として天満宮に祀られることとなり「学問の神様」となりました。

大宰府天満宮

道真が大宰府に左遷される時に詠んだ和歌が、茶道でよく使われます。「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」「東風(こち)」とは「春に東から吹く風」のことです。「春になって東の風が吹いたならば、その梅の匂いを私のところまで届けておくれ、主人がいないからと言って春が来るのを忘れないでおくれ」京都を離れる日、幼い頃より親しんできた梅に向かって詠んだ歌がこの歌です。すると感動した梅は一夜のうちに大宰府の道真の元に飛んできたという飛梅伝説があります。道真にとっての「東風(こち)」は、京都から大宰府に向かって吹いてくる風ということです。
また、天満宮には牛の銅像が置いてあることが多いです。しかも臥せた牛。牛は天満宮の神様の遣いであるからです。なぜ、牛が天満宮の遣いになったかというと、菅原道真が亡くなられたときの故事に由来します。 道真の亡骸をのせた牛車を進めていると、牛が座りこんで動かなくなりました。 そこで、牛車の止まったあたりにお墓を立て、お社を建てたのが、のちの天満宮になったそうです。 また、菅原道真は丑年の生まれだったとも伝えられているためです。


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