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「我らが郷を潤し給へ」北海道ダムめぐり#1 旭川市東桜岡

旭川市東桜岡貯水ダム

 北海道に移住して一カ月たったころに、コロナで自粛だから絶対に人がいないところにドライブ。場所は、思い出の町。旭川市の端の端の端にある東桜岡だ。

 東桜岡には貯水ダムがひとつある。ダム好きの血が騒いだ。

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碑には「蘇水潤郷」とある。このダムの水で村が潤うことを願ったものだ。

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この裏には功労者と沿革が彫られていた。

以下文字おこし。

功労者
小谷勝治
幼時父元蔵と倶に入地し開拓の困若の中に人と成り畑作の疲弊を憂い私財を投じて貯水池の計画をまとめ責任者として工事を推進し幾多の犠牲と困難をも顧みず遂にこれを完成し永年に亘り役員として貢献した。
外山興平
大正六年入地貯水事業並びに土功組合創立に奔走し͡殊に大東亜戦争中及び戦後は労力私財欠乏世相混乱の中に組合の健全なる運営をはかり改組後は要路への運動を続け道営による貯水池拡張改修工事を完成に導き終始一貫役員をして尽力した。

沿革
櫻岡土地改良区地域は明治三十二年山根正幸小谷元蔵ら移住し原始の密林を拓さ開墾以来逐年移住民増加し開発大いに進む
大正の末期にいたり永年の連作等により地力の減耗を来しあまつさえ不況に遭いために確実有利なる水田を開発すべく水源を貯水池に求むる土功組合を計画し大正十四年八月櫻岡土功組合設立認可申請
同十五年七月設立認可を得
同年九月貯水池灌漑溝工事に着手
翌昭和二年竣工す
昭和二十六年土地改良区に改組
昭和三十三年より道営による貯水池拡張改修工事を施工
同三十七年竣工して現在にいたる
発足以来四十年この間冷害凶作その他幾多の困難ありしも協力一致これを克服し今や組合員八十余名水田百八十町余産米一万四千俵を数うるにいたる
茲に土功組合四十周年を記念し碑を建てもって後世に遺す

重機もない時代に、昔の人々は村の生活をよくするために、ダム工事をやってのけてしまう。そんな先人たちの思いを石碑から読み取り、その思いをダム湖に投影してみる。すると、作業風景から完成の様子、そして完成後の生活の様子までありとありと浮かんでこないだろうか。

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思い出の町・東桜岡

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 はじめて東桜岡を訪れたのは、今から約6年前。初めてロードバイクを手に入れて、忠別川に沿ってただただ進んだら、いつの間にか峠を登り、この地に来た。写真の馬は旭川教育大時代に2回ほどここを訪れたときからいるお母さん馬だ。
 余談だが、日本の動物社会学が馬からサルに切り替えたのは、あまりにも馬が動かないからだと言われているが(『サル学の現在』)、それもうなずけるほどこの子は動かない。

峠をを下りて、東旭川にあるカレー屋さんへ。

スサンタキッチンというお店です。中にはかわいい猫が2匹おり、人懐っこいですが、猫戯アレルギーの私にとっては天敵。早々と食べ終わらないと、目がかゆくなるから、いつもくつろげない。。。

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うまかったです。ごちそうさま。

253日前。

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