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恩人

やほ🥳🥳いしまきちゃんだよ

なんかnoteって
書こかなーと思っても『よいしょっと!』が必要でさ、なかなかあれだよね。あれね。

まぁ唐突に話すと
私にはですね
おでこを床につけて土下座しても
感謝しきれないほどの恩人がいます

なんでまた急にそんな記憶を掘り返したのかというと…こんなツイートを見たからですね。

https://twitter.com/nwt_g/status/1368251812537495555?s=19

私にとって初めて差し伸べられたその手に気付いたのはいつだっただろうと。

はい、答え!

高校3年間を受け持ってくれていた担任の先生ですね

中山先生っていいます。

中山って読んでました。
もしくは『中山けん○○』だったのでケンティて呼んでました。
髪の毛は薄かったです
あと眼鏡を掛けていていました。

そんなことはどうだっていいんです。

高1の時
私は荒れまくっていました。
ヤンキーとかそーゆうんじゃないんです。
気持ちが荒みすぎて
全員を敵だと思ってました笑

今じゃ信じられないけど

もうね他人が嫌いで嫌いで仕方なくて

ついには私が起こしたことでクラス会議が行われました。


ほんとにいまなら本気でごめんなさいなんだけど
その頃は何が悪いんだかほんとにわからなくて謝れなかったし反省も全くしてなくて。
きっととてもとても困らせていたと思います

先生は世界史Bの先生でした。

Bってなんですか?
Aもあったんですか?
社会科準備室っていう先生の部屋があって
私はなぜか毎日そこに呼ばれてました
正確に言うと
呼ばれてないけど行ってました
居心地が良かったので。

そのなかには
細身で白髪交じり
紳士的風貌の倫理の先生もいました


友達も数名来てました
とにかくわりと毎日そこにいました

話していくうちに
だんだんここにいる他人は味方かもしれないって思うようになって

ちょっとずつ自分のことを話すようになりました

『お前なんか言えてないことあるだろ?』

『なんで?』

『あんまり我慢するなよ。』

『じゃぁ私が言うことぜったいに黙っててくれる?』

その頃ってほとんど保健室に登校をしていて
基本は寝るか
保健の先生とお話しするか
社会科準備室行くかしてたんだけど

必ず5限の終わりには

『おい後藤(旧姓)!帰るぞー!また寝てんのか!笑』
って迎えに来てくれてました


先生とてくてく教室まで歩く時間が
好きでした。

完全に甘えてました。

おうちのことで児童相談所のお世話になったときも

たぶんすごく心配してくれました

幼稚園から思い返しても
この先生だけはお母さんじゃなくて
私だけの味方になってくれました

他人のくせにこんなに他人のこと心配できるんだねって思ったことをすごく覚えてます
(完全に何から目線)

そういえば
今よりもっと落ち着きがなかったので
私だけ席替えがなかったです。笑

いつも先生の教壇の真ん前の席
もしくは
教壇の真隣でした。
(斜め前じゃない。ちゃんと真隣。)

『お前はここ!くじは引かなくていいの。わははは!』

3年間ずっとこんなでした

この先生がいなきゃきっと今のわたしじゃいられなかったと思います

気持ちを通わせることの心地よさとか
他人でも信じて良い人もいるってこととか
守ってくれる大人がいるってこととかね

先生っていう職業ってものすごいなって
今もすごーく思うんです

親以外に近くにいる人なかで
子供にとってはね
先生が一番近くて長い時間
側にいる大人なので。

その先生が親身になってくれることで
守れることも
あるんじゃないかなぁ

とかね🥳

あ、別に先生へのプレッシャーとかじゃないです。
そうだといいなっていう
あくまでも一願望です。

わたしがいつか
スクールソーシャルワーカーになりたいっていう夢はこの辺が関係するかもです🥳
子供を子供側で気付いて見守れる人になりたいです。

あなたに手を差し伸べてくれた人は誰でしたか?

いまでもその人を思い出せますか?

ほなね🥳



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