見出し画像

信頼されるように丁寧に

やほ🥳

ちょー久しぶりだnote‼️

って常々思ってるやつね。笑

なんかしごとでモヤーなことがあった
そのモヤーは他人に向けたモヤーだった
同じ内容を伝えるなら
もう少し言葉を選ぼうよ
のモヤーだった。

自分ではあんまり拘りなくしごとしてるように思ってたんだけど

こういう人間でありたい
こういうしごとの仕方をしていたい
っていう気持ち、そーいえば昔からあったんだなって思い出したよ。
(忘れてたんかい)

その最たるものが
信頼されるようにしごとをしていたいってことだった。

思い返せば前職は接客と営業で
仕事内容ももちろん、会社のことも好きで大切だったけど
会社を守るために目の前にいるお客さんに嘘をつくことになることが
どーしてもどーーーーしても
できなくて辞めた。
それは仕事を失うことよりいやなことだった。

いくら給料が出る仕事であれ
信頼をなくしてまですることではないって思った瞬間があって
もしかしたらそこまで考えずに、ゆるりとこなすこともできたのかもしれない。
柔軟性がないとも言える。
自覚あり。


だけどある時
雷みたいにドシャーンと落ちて
「あ、もうムリだ辞めよ」
ってなった。

いまは
目の前にいる患者さん
患者さんの家族
がわたしにとって信頼を得たい人。

同僚や先輩は仕事の仕方を日々見てもらうことができるかもしれないけど


患者さんと、患者さんの家族は言葉や表情や口調なんかを大切にしながらほんとに少しずつ少しずつ紡いでいかないと崩れてしまいそうで。

だから
その信頼を失うようなしごとをさせられたり
積み重ねた信頼を崩さざるをえない状況に陥ると


帰り道、すごく体育座りしたい気持ちになるよ。

きのう
なにに対してモヤーを感じたのか内省したら
結局そんなとこに行き着いたから

これからもそんなことを大切にしながら仕事していたいと思ったんでここに備忘録。


みんなはどんなことを思いながら
日々おしごとしてますか




ほなね🥳🥳🥳🥳











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?