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『繊細さん』の本、読んだぞ

やほ🥳🥳
いしまきちゃんだよ。

げんき❓️❓️

ほんとはさ

前から気になってたんだけど
自分が繊細だと思いたくないっていう超絶意味不明なスイッチが入って敬遠してた『繊細さん』の表紙をついに開きました🚪パカッとな。

まずこの本を読んで目から鱗だった点がふたつあります。

ひとつめは

人を嫌いになろう

『え?』

ちょっとこれは正直、本気で『え?』でした。

人を嫌いになることって推奨されるんだっけ。みたいなね。

ただやっぱり自分を省みると
人を嫌いになることはダメなことだと思い込みすぎてるところあるなぁと。


あとは、その人の一面は嫌いかもしれないけど他の二面くらい許せる部分があれば嫌いな一面に目をつぶってたってことです。
せっかく縁あって知り合えたんだから…みたいな所で目をつぶることはとてもあります。

後者はまだ考察中です。

ただ、前者の『こうあるべき』みたいながんじがらめな考え方は解放しても良いかもしれないと思いました。

というのも今回、
『人を嫌いになる=自分の中にある大事なセンサー』
と学んだからです

この人苦手だな、嫌いだなと思えるのは
普段から自分の気持ちを封じがちな『繊細さん』からすると、危険?から自分を守るための大事なセンサーなんだと捉えたら…そんなに悪いことでもないかなと。

そういう意味では、ここ数ヶ月めちゃくちゃ傷付くのに一緒にいた人がいました。
傷つけられる面には目をつぶり、一生懸命良い部分を見ようと努力しました。
それでも、最終的に傷付いた事実は記憶から消えずに残るということを知ったんです。


ホントはそこに目を向けることが嫌でした。
嫌なことにフォーカスを当ててる自分が嫌で。

自分が傷付くことよりも、相手を嫌うってことで発生するマイナスにばかり注視していて、肝心な自分を守れてなかったんです。

う~ん
なにしてたんだろうなぁ。

ふたつめは


『こうしたい』と『こうしなきゃ』の違いに気付く

ってこと。

なんとなーく
ぼんやーりと
未来のことを考えたときに、それがどっちなのか考えずに進めてました。
わりと『こうしなきゃ』と思い込んで進んでいたこともあったんじゃないかなぁとかね。

とにかく自分がこうしたいと思うことよりも
相手がこう望んでるからこうしなきゃ
と思いがちですわたし。

だから一旦立ち止まってこれはどっちかなって考えることが、結局自分の気持ちを大切にすることに繋がって…そこで生まれる余裕を持って他の人に接することができたら最高の形だな、なんて思いましたね。

その他にも本を読みながら
《私が私らしくいれる人》
《ストレスを感じる場面》
《得意なこと好きなこと》
《苦手な五感》

なんかについても考えることができ、とっても学びの多い本でした。

私は基本SNSツイッターなんですけどね、本を通してそこに思いを巡らせる部分もありました。

あんまり考えずにその時呟きたいと思うことを呟いてるスタンスなんですけど(なので私の呟きに学びはない🤣)

お酒飲んでバカになってるわたし、時々真顔なわたし、時々泣きそうだったり弱くなってるわたし…
その時々の気分で自由に呟いてるのに
今仲良くしてくれてる人ってどんな自分を見せても大丈夫だった人たち。

どうしてもクラスメイトとか昔からの友達には、面白おかしくその場を明るくする一面しか見せられなかったり
逆にずっと聞き役に徹していたり

相手が満足するような自分で居続けることが多かったんですよね。

なので、どの面を見せてもそれがあなた、と思ってくれる人が私には必要で
仮にそれで離れていく人がいてもそれはそれでムリに合わせたり追いかけたりしなくていいんだな

なんてことを改めて気付かされました。

また生きてて一息つきたくなったり
神経がぴりぴりする感覚に陥ったら読んでみようと思います。

いままさにそんな人には、是非

おすすめだよん🥳

ほなね🥳🥳🥳プップクプー

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