自分を映す鏡としての映画
1年ほど前から必要を感じて英会話を習いはじめた。
こないだの面談で、先生に「もっと英語を聴く環境に身を置きなさい」と言われ、これからは字幕の映画を見る習慣をつけようと思った。最初に観たのは20年以上前の映画、「マトリックス」。
・・・・・この先、一部ネタバレあります・・・・・・・・・・・・・・・・・・
少し英語に耳が慣れてきたかな、と感じると同時に、話されている英語と字幕の日本語訳のギャップというか、こんな風に訳すんだという驚きがあったりして楽しい。ぜひ習慣に変えていきたい。
マトリックスの世界は仮想現実で、人間たちはそこでリアルに生きていると思い込んで生活している。詳しいストーリーはここでは割愛するが、主人公のネオがそんな人間たちの救世主として覚醒していく様子が描かれている。
そこで私にとって印象に残るシーンが2つあった。
1つは、仮想現実の世界でネオが戦うためにトレーニングプログラム(カンフー?)を受けているシーン。
仮想現実の世界なので、強さやスピードの原因は筋力にはない。無限に動けるはずなのに、自分で限界を抑制している。
そんなネオに教えているモーフィアスが言った言葉。
「速く動こうと考える」背景には「速く動けない」と思っている現実がある。
ブロックをかけているのは自分自身なのだ。
そして、心を解き放つ扉は自分で開けなければならない。
もう一つ、物語の後半でネオが敵から逃げずに対峙する決意をするシーンがある。
そんなネオを見てモーフィアスが言う。
この覚醒していく感覚。自分もちょうど20歳のころ、競技をしていてそんな感覚を味わったことがあったことを思い出した。その時の気持ちをもう一度取り出して、ホコリを払って味わい直してみようと思う。
マトリックスを観るのはこれで3〜4回目だと思うが、今回は特に自分の内面に響いたと思う。同じ映画を観て自分の変化を知ることができた。結局、映画をとおして自分を見ているのかなとも思う。自分を映してくれる他者の存在が必要なのだ。その他者が、時に映画であるのだ、きっと。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?