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美貌

酷く醜い女が、洗面台の前に立っていた。
油に汚れたTシャツ。途中で千切れた髪。
撓んだ輪郭。丸く潰れた鼻。虚に重たい瞼。
剥がれた歪な紅いネイル。
どこからどう見ても、私は『可愛い』のその部類では無い。
どんなに擦っても、擦っても、消えない自己嫌悪がそこにびっしりと根を張っていて、私は未だに、かつての他者の評価に囚われ続けている。
ふとした瞬間にそれらを思い出しては、ビルの鏡面に映し出された姿を、横目にも見る事が出来ないくらいである。
毎日道具箱の中から取り出した化粧品達を、一心不乱に塗りたくり、そうして出来上がった「私では無い『私』」になると、漸く思うように息が出来るのだ。

闘う為に、私は筆を肌に滑らす。紅をひく。
けれど、そこで得た良い評価達は、私には積もらない。
化粧を落とせば、画面から出てしまえば、顔面加工が外れてしまえば、きっとあなたも同じ、私の素顔を嫌悪する事でしょうと、笑顔の奥にそっとしまい込む。
化粧を落とした顔を、一方的に親しいと思っている相手にだけ見せるのは、つまりそういう事だ。長年付き合ってきたとしても、私の素顔や全体像に目を向ければ、離れていくか、留まり、これまで以上の仲を築けるかのどちらかだから。

自身の顔で、友人や恋人を失った経験がある。
自身の顔で、友人や恋人を得た経験もある。

結論人間は、誰しも容姿が最初の一歩なのであるから、そこに異論は認められない。現代に至るまでルッキズムが損なわれない事が、それを証明している。
しかしなぜ、私が顔により繋がりを失ったのかは、ごく単純なもので、私の中に補えるものが無かったのだ。
彼・彼女等にとって私の性格や持っているものが、不都合そのものであったと、感じている。
そうなってしまえば、離れて行くその行為は、自然の摂理である。
誰かが離れて行く度、私の全てを否定された様な気がして、人と関わる事は、尚の事恐ろしくなっていった。

もう一度、鏡の中の私に目を向ける。
泣きそうなのか、怒っているのか、感情が入り乱れたその表情は、私自身でさえ、不気味に思う程だ。

もっと美しければ……。
もっと可愛ければ……。
……もっと、もっと!!!

割れた鏡面に映るのは、相変わらず虚な眼をした醜く太った身体の女で。
誰かに愛されていた記憶を疑いながら、私は寝室に戻った。
身体をベッドに放り投げ、蹲る。切れた指の関節から、溢れ出る血の温みが心地良かった。小さなその傷一つ一つに、心臓が宿ったかのように脈打つ。美しいその現象だけが、私をそっと救い上げた。
ただ、誰かに愛されて良い理由が欲しかった。
セックスも、キスも、胸の高揚も要らない。
顔が醜くとも、身体が汚くとも、ただ私の奥底に、微笑みかけて欲しかった。
ただ、それだけだった。
私が望んだものはあまりに大きく、不釣り合いなものだったのだと、今更ながら実感し、苦しさに喘いだ。
幼い頃のレッテルは、もうすでに引き剥がせたものだと思っていた。しかしそれらは容易では無かったようで、対人関係、または私自身の関係に、強く影響を及ぼし続けている。

暗闇の中、かつて携帯で撮った写真達を見る。
どこまでスクロールしても、このアルバムに、私はいない。
夜な夜な輪郭を削り、鼻を縮小し、目頭を寄せ、肌に艶を与えたその写真達は、当然の如く私では無いからだ。『私』を創り上げ、容姿が平凡に少しでも近付く事で安堵し、漸く眠れていた。
まだその方が、幾分良かったのかもしれない。
今では喉が痞えて、微小の叫びにすらならない。
薄くなる呼吸は、私の視界に黒い靄を落とした。

『愛される』

たったそれだけを与えられる為に。
私は、どこまで失えば良かったのだろうか。

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