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大人の発達障害についてっ!

以前所属していた仕事場の社内コミュニケーションツールのLINEグループからしれっと外されていたことで少し傷ついているちゃんさんとです。
♯傷ついてないよ
♯[属してないんだから外すのは当然さ]と自分へ言い続けているよ
♯平然とした顔で実は傷ついているよ

大人の発達障害とは??

さて。
本日は大人の発達障害についてというテーマで話していきます。
実はYouTubeの方で一度収録をしたんですが、なんだかしっくりこなくってやっぱりカンペというか下書きがひつようだなと思いながらペンを走らせております。

大人の発達障害という言葉が出てきたのはわりと最近っちゃー最近で、たぶんここ10年とか20年とかな気がしています。

まずここで整理しておきたいのは大人と子どもで発達障害について本質的な違いはないということです。

あえて違いをといえば18歳以下は成長過程にあるということです。人間は18歳をピークにいわゆる成長が緩やかになります。そんなこんなでアプローチの方法は変わってくる。成長過程も加味しながら支援の方法、方向性を検討していくという点では違いかもしれません。

しかし、大人と子どもで本質的な違いはないということです。

なので一般的な発達障害について説明していきますと、発達障害は先天的な脳機能の障害と言われていて大きく分けて3つ。

・自閉スペクトラム症(ASD)
・注意欠如多動症(ADHD)
・学習障害(LD)

この3つは別々の疾患のように見えますが、重複することが多いです。
そもそもが知的能力の凸凹をさすので人によってさまざまです。

ポイントになるのはこれらの凸凹が生活するうえでどれだけ生活のしづらさにつながっているのかという点です。

社会障壁と障害について

以前説明した「社会的障壁」についてもお話していますが、障害はその人本人にあるのでありません。

無意識の思い込み、無意識の偏見が作り出す社会が障壁となり、それが生きづらさに繋がって障害となります。つまりその人が所属する会社や家庭なのどのコミュニティー内で、ご自身のことをわかってくれる人がたくさんいて、自分も相手のことをわかっている多様性が受け入れられているコミュニティーに属していれば凸凹はあっても障害となりません

端的に話すといわゆる障害があっても生きずらさを感じなければ障害にならないということです。

そういった意味で発達障害という概念が広まったことで説明できることが増えたといえます。
ある種の発見といえるのだと思います。

ちなみに児童の分野では昔から他人への共感や理解が出来ない、こだわり、感覚過敏のある子どもはオーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーらによってが報告されていました(のちのアスペルガー症候群となる)。

なので日本の小児の世界でもこの概念は1970年以降に広まっていてこだわり、不注意・多動症のある子どもがいるとうことはその頃から報告されていました。

その一方で大人の精神科領域ではこだわりとか他者の共感や理解ができない方に対し、統合失調症とか躁うつ病とか迷って診断していたようです。

でも児童分野から発達障害という概念が広まったことで説明できることが増えてきた。このことが大人の発達障害ということばが急激に広まったことにつながっているんだと思います。

今現在は発達障害に対しての薬も増えてきていますが、個人的な思いでいうと「薬ありき」の精神科領域にはまだしっくりきていないというのが本音です。

もっと生活の中での工夫だったり、構造化、合理的配慮等々違ったアプローチがあるなあと思っていたりします。
なので僕たちのアプローチもこちらがメインになるんだと思っています。

発達障害とは

さきほど言った3つについて話していきます。

・自閉スペクトラム症
・注意欠如多動症
・学習障害

自閉スペクトラム症(ASD)

自閉スペクトラム症は主には対人関係の難しさやコミュニケーションの障害、限定した興味関心や行動を持つと言われています。

そのため、対人関係においてあまり上手くいかなったり、職場でのコミュニケーションがうまく取れず、自分が良かれと思って発したことでトラブルになってしまったりしてストレスを抱えてしまうことがあります。

注意欠如多動症(ADHD)

注意欠如多動症は3つの特徴として多動性、衝動性、注意散漫があると言われています。子どももの場合はじっとしていられないなど多動が目立つことが多いですが、大人の場合は仕事において注意を継続し続けることが難しかったり、物事の優先順位を飛び越えて衝動的な行動をしてしまうことがあったりもします。

学習障害(LD)

そして学習障害は全般的な知的な遅れはないものの、読む、書く、計算するなどの特定の能力について困難さがあることを言います。大人の場合、勉強が苦手というひとくくりにされてしまったまま学生時代を過ごした方も多くいます。
有名なところでいうとト○クルーズも学習障害だと言われてます。

これは独立したものでなく、重なり合う部分も多いため仮にASDであってもADHDの傾向を持つ方もいてかなり個人によって色が異なります。

先ほども言ったように発達障害については年々認知が広がっていてこれまでは少し変わった人といった形で見られ、自分では精一杯頑張っているのにもかかわらず、うまくいかない苦しさをずっと抱え続け、大人になって働き出したところで苦手な部署に異動になったことからストレスを抱え、2次障害としてうつ病を発症して医療機関に関わった結果、検査など行い、発達障害であることを知ると言った方が多くいます。

人間誰しも得意不得意があります。

無理なことをし続ければ誰でも辛くなります。大事なのは自身のことを知って無理な戦いをしないということです。

僕自身の話をしますが、僕は道を覚えることがとにかく苦手なんです。
何度も何度も行った場所でも辿りつけないことが多々あります。

なので、もし僕がタクシー運転手をしていたら確実にお客さんとトラブルになって即クビだと思います。

幸いなことに、僕は道を覚えることが苦手だということを自覚しているのでタクシー運転手になりません。無理にこの仕事をしなければいけない環境でもないです。

そんなこんなで自己理解や周囲の理解はめちゃくちゃ大事だなあと感じます。

無理をして一般的な基準に合わせようして苦しむよりも建設的にその人らしい生き方を探る上で大事なポイントになるんだと思います。

先ほども申しましたが、大事なのは自己理解と他者理解で、その一歩としてまずは自分の無意識の思い込みや無意識の偏見に気が付くということだと思います。

基本的に自分と他人は生きてきた環境も、歴史も違います。それぞれの価値観があって当たり前。

他者を理解しようとするのはすぐには難しいにしても違いに気づいて無意識レベルの思い込みや偏見から意識レベルに変換することがまず第一歩ではないでしょうか??

多様性が認めあえる優しい世界になればよいなって思います。

ではまた。



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