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旅先でもらったギフト=利他の精神

私の旅の主な目的は、以前は「冒険」であり自分の探究心を刺激することだった。
しかし家庭を持ちファミリー旅をするようになったことで、「利他」について考え、行動するようになった。

今回は「私が旅先でもらったギフト=利他の精神」
ということについて、限界集落の宿に行った時のエピソードを交えながら綴ろうと思う。

限界集落にて

私が利他の精神を得たと思えたのは、旅先での人々の心温まるおもてなしの数々だった。

当時上の子が3歳、下の子が1歳になる直前ぐらいのときだった。
育休期間の最後に、山梨から丸3日間かけ、子どもが昼寝したり夜寝ているタイミングを見計らって一気に移動し、少しずつ西へ向かった。
目的地は島根県の温泉津町から車で10分ほどの日祖(ヒソ)という場所だ。
ここはいわゆる限界集落と呼ばれる場所で、古民家を改装した宿がポツンと1軒だけある。
なぜそこに行ったのかというと、シンプルに旅仲間の友人に「めちゃくちゃ良いからとにかく行って!」と激推しされたからである。

この宿に辿り着くには人の案内なしでは難しい。
ナビにも出てこないような道を進まなくてはならないからだ。
まずその宿の案内人の方と温泉街の入り口で待ち合わせし、車でついていった。
こんな山奥に入って大丈夫なのだろうか?と不安になって10分ほど進み、山道を抜けると小さな集落が広がっていた。

この集落には当然小さい子どもの姿はない。
おじいちゃん、おばあちゃんしかいない。

しかしこの集落では、私たち家族に本当に大切なことを教えてくれた。

助け合いが当たり前のせかい

外を歩いていると、まず間違いなく住民が声をかけてくれた。
「どこから来たん?」「いくつ?」「いつまでいるの?」
そんなやりとりを住民とエンカウントするたびにした。
2泊3日ですと伝えると、「それじゃあこの野菜持っていって食べえ」「今朝捕れた魚いるけ?」と食材をくれたり、いろいろ気遣ってくれた。

この宿ではケータリングも頼めるのだが、調理器具も充実しており自炊も可能だ。
海も徒歩5分で辿り着ける。
荒れていなければ釣りや素潜りも可能なんだそうだ。

とにかくここの住民たちは自給自足が当たり前、助け合いが当たり前だった。
私たち家族は、人々に声をかけられ、手を差し伸べてくれるたびに胸が熱くなった。
そのような人々の温かな行動に触れることで、私たちは他人に対する思いやりや優しさの大切さを再認識することができた。

限界集落においては、互いに助け合い、支え合いながら暮らすことが必要不可欠だ。
そのような地域に短い期間ながらも身を置くことで、利他の精神を持って接し、大自然と共に地域の温かさを肌で感じることができた。

宿から徒歩5分の海辺

利他について考える

子供たちと一緒に旅することで、私自身の価値観を再定義することができた。
私たちの社会は、個人主義が強くなっているように思う。
しかし、旅をすることで、他の文化や価値観に触れ、人々が互いに支え合うことの重要性を学ぶことができる。

資本主義に身を置いている私たちは、時々原点にかえり、共産主義や社会主義に近い思想に浸る必要があるのではないだろうか。
資本主義を否定するつもりはないが、改めて「お金」とは道具であり、モノの交換を簡単にするためのツールにすぎないということを再認識しなくてはならないと思う。
美味しい食事と、ある程度雨風を凌げる住居、最低限の衣服があれば、人は生きていけるのだ。
そのためには助け合いの心、「利他」があってこそ成立する。

素敵なお宿 HISOMさんの前にて

旅の経験は、私たちにとって大きな価値があり、今後もこの利他の精神を持ち続けたいと改めて思う。
利他の精神を得ることこそ、旅に出る最大のギフトではないだろうか。

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