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日本神話好きのVIVANT考察妄想


前回の続きになります。

ベキ(乃木卓)のモデルについて

①乃木家と出雲の繋がり


乃木卓は出雲族をモデルにした乃木家の主でした。
乃木家と出雲族との関わりについてはこちら


このことからベキは出雲族のトップの大国主をモデルにしたと思われます。

②バルカでの国造り

ベキは農業使節団としてバルカの砂漠地帯の緑地化事業に従事します。
その功績から地元民からは「ノゴーン=緑、ベキ=魔術師」と呼ばれるようになりました。

大国主は薬や農耕などを人々にもたらして国を作り、国造りの神として人々に崇め、敬われた神様です。

③バルカでの子孫繁栄

大国主といえば神様一多くの子どもを設けていることが有名です。
古事記・日本書紀には子どもの数は180柱以上と書かれています。
テントが行っていたテロ行為で稼いだ資金は、戦争で親を亡くした多くの孤児たちの為に使われていました。ベキの目的は子ども達の未来を守ることだったのです。
ベキの信念は、子孫繁栄や縁結びの神様として慕われている大国主ととても似ていることが分かります。

④公安(アマテラス)との対立


作中の公安は職員全員で神棚に手を合わせるシーンがありました。

神棚は中央に天照大御神、右に氏神様、左に崇敬神社を祀ることが一般的であることから、
このシーンは、公安は天照大御神に手を合わせている暗示的なシーンということになります。

ベキはテントとして日本の公安と対立していましたが、大国主もまた、天照大御神率いる天津神と対立していました。

「古事記・上巻」ではアマテラス軍の武甕槌(タケミカヅチ)とオオクニヌシ軍の建御名方(タケミナカタ)が戦って、アマテラス軍がオオクニヌシ軍を撃破し、大国主は葦原中つ国の支配権を天照大御神に譲ったと記されています。

乃木憂助のモデルについて

時には公安を協力して、時には別班として、
テントを追い詰めたり、テントに寝返ったり。
最後まで行動の読めない作品の主人公でした。

①八咫烏とは

八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰され、太陽の化身ともされています。

②八咫烏の正体

この八咫烏は、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身であり、賀茂県主(かものあがたぬし)の祖となったとされています。
奈良県宇陀市榛原の八咫烏神社は建角身命を祭神としています。
しかし、全国の鴨社の総本社とされている高鴨神社の御祭神は阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)であることから、
賀茂建角身の正体は、大国主の息子である阿遅鉏高日子根ではないかという説が濃厚だとされています。 

(また、阿遅鉏高日子根は事代主とも同一神とされている説もあるのですが、文章量がとんでもないことになるので今回は割愛します…。
ここは後の伏線回収になるので頭の片隅に入れておいてください…。)

つまり、八咫烏→賀茂建角身命→阿遅鉏高日子根→大国主の息子→ベキの息子→乃木憂助
ということに繋がってくるのです。

③八咫烏のしたこと

八咫烏は国津神(大国主率いる出雲族の子孫)でありながら、敵対する天津神(作中では公安に当たる)と協力関係を築いていました。
八咫烏は祖国を裏切ったかのように思われますが、日本の各氏族を和平する為に暗躍していたという説があります。
作中の乃木憂助も、別班でありながら一時はテントに寝返り、最終的には公安と手を組み、新たな敵と立ち向かいました。
この点も日本神話とリンクしている部分だと言えます。

④秘密結社八咫烏としての関わり

都市伝説的に語られている秘密結社八咫烏というものがあります。
私はあくまで噂程度と考えているのですが、この秘密結社八咫烏がVIVANTの設定に関わってそうなので紹介します。


秘密結社八咫烏とは、古代氏族の賀茂氏の一部が日本における神道、陰陽道、宮中祭祀を裏で仕切っているとされる組織のことであり、正式名称は八咫烏陰陽道。
祭司の仕切りや天皇の代わっての儀式遂行を執り行い、国家安泰を願い日々国のために祈りをささげるのが役割とされています。
メンバーになると戸籍がなくなり、日本の法律や憲法が通用しないとされています。
メンバーにはあらゆるジャンルの幅広い知識が求められ、いわゆるエリートしかなれないということ。
また、一度八咫烏になると、一生一員として過ごすなどの掟があります。
「表の公安、裏の別班」と作中で言われていたように、日本の裏で暗躍している秘密結社八咫烏と「別班」はよく似ていることがわかります。

以上のことから別班は秘密結社・八咫烏をモデルにしており、それに所属する乃木憂助は阿遅鉏高日子根神(神話としての八咫烏)という考察ができます。


ノコルのモデルについて

ノコル(モンゴル語: Nökör,中国語: 伴當)とは中世モンゴルにおいて「僚友」を意味した言葉。本来的な意味は僚友/友人であったが、モンゴル帝国の建国期には「領主個人に忠誠を誓う家臣」といったニュアンスで用いられた。
チンギス・カンのノコルとして著名になった者の大部分は親や兄に連れられて質子(トルカク)としてノコルになった者、或いは子供の時に拾われて義弟・養子として育てられノコルになった者たちであった。

ウィキペディアより

①建御名方神とは

建御名方神(たけみなかたのかみ)とは、大国主の御子神であり、記紀では母親の記載はないのですが、
「先代旧事本紀」によると、大国主と高志沼河比売(こしのぬなかわひめ)との御子神とされています。

ベキのモデルは大国主だったため、ベキの息子であるノコルはおそらく建御名方をモデルにしていると考察できます。

また、「天神本紀」の国譲りの段では、建御名方が
事代主神のことを「兄」と呼んでいることから、
建御名方は弟、事代主は兄ということが分かります。

先ほど、乃木憂助のモデル考察の章で記述した通り、事代主と阿遅鉏高日子根は同一神であることから、
作中のノコルは弟、乃木憂助は兄という構造にも当てはまります。

②フローライトとの繋がり

建御名方の母親は高志沼河比売とされていますが、この女神はその名前にあるように越の国(越前、越中、越後のこと)の女神です。

新潟県の糸井川は諏訪湖北方から長野県富士見町下蔦木付近に至り、この糸井川では縄文時代には翡翠の産地として栄えていました。
太古の人々にとって翡翠とは貴重な鉱石であったため、勾玉やアクセサリーにして祭祀や儀礼に使用するのに重宝していたアイテムです。

フローライトも、フッ素樹脂として半導体、製薬、電子など幅広い分野で使用されており、非常に需要が高いことから減産途上にあるとされています。

ノコルはこのフローライト産業の一任を背負い、ベキの築き上げた一大プロジェクトを守るというラストでした。
一方、建御名方は神話上で国譲り後、諏訪の地に社を建て、諏訪大明神として鎮座しています。(諏訪大社)
つまり、建御名方は現在も翡翠の産地である諏訪の地を守っているとも言えるのです。
この境遇からも、ノコルと建御名方は絶妙にリンクしているように思えます。


まとめ

以上のことから、
ベキ=大国主
乃木憂助=八咫烏
ノコル=建御名方
というように考察してみました。

もしこの考察が当たっていたとすれば、
乃木憂助は事代主なので、薫さんは玉櫛姫となり、その子どもであるジャミーンは媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)、つまり初代天皇である神武天皇の皇后となる存在にあたります。

もし2期が制作されるのであれば、公安(アマテラス)の人間を主人公として、大きくなったジャミーンとくっつくという展開になるのではないかと期待しています…!
(ずっと野崎さんがイワレビコだと思っていたのですが、最終回を見て恐らく違うだろうと思いました。)


以上、妄想たっぷりの考察でした。

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