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「なんで?」って言わないでほしい

 私は変わり者なので、多数派と違う考え方を持ったり言動を取ったりすることが多々ある。(というか、多数派と違うことを変わり者というのであって、トートロジーではあるが)多数派と違う言動をした際に「なんで?」と訊かれることがある。その「なんで?」にも、「批判」の場合と「疑問」の場合があると思う。「多数派と言動を取れよ。KYだなー。」の場合と、「多数派の言動を取るのがアタリマエであるはずなのに、どうしてアタリマエの言動を取らないの?」の場合である。しかし、変わり者である自分としてはフツーに考えて取った言動であるため、特別な理由があるわけではない。

 「なんで?」が批判の場合、その人は多数派であることにプライドを置き、少数派を尊重する気持ちの無い方だと思う。そのような方と私とは根本的な価値観が違うので、無理に議論して妥協点を探すのは面倒である。また私は基本的に虚弱体質であり、面倒なことに気力を使うほど元気ではない。それ故、批判的に「なんで?」という人とは極力関わらないようにしている。

 「なんで?」が疑問の場合、私も頑張って疑問に答えようと努める。しかし、それには特別な理由があるわけではなく、今まで生きてきた経験則的な部分が大きいため、上手く答えることが出来ない。シューカツ的に、立派なビジネスマン的に、なんとなくそれらしい理由をつけて答えることも可能である。そこで、私はある理由を適当に言語化して「Aという理由から、私は多数派のような言動は取らない」という説明をすることもある。その場合、相手は「Aという理由ただ一つをカイゼンすれば、多数派の言動を是とするんだなぁ」と考えてしまうらしい。そして、Aじゃなくするから多数派の言動をとるよう、無駄な交渉を持ちかけてくる。そこでBという理由を出すと、それに対する案を出してくる。物事には様々な理由があり、全てを言語化するのは不可能である。とにかく多数派と判断が異なるだけであり、それに関する説明を一つ一つ潰して迎合を促すのは控えめに言って面倒臭い。そもそも相手に合わせてAという理由を説明したのが間違いだったのであり、結局は沈黙が最善の策なのである。

 どちらの「なんで?」も、迎合を促し他者をコントロールするものであり、自由気ままに心穏やかに生活したい私としてはあまり聞きたくない言葉である。また、私自身、好奇心や探求心は強い方であり、「なんで?」と考えてしまうことで世の中は溢れている。その場合の「なんで?」と先述の2つの「なんで?」の違いは何だろうか。今なんとなく思うところでは、自分の中だけの「なんで?」と他人とのコミュニケーションにおける「なんで?」の違いはありそうである。

 特に結論や強い主張があるわけでもなく文章を終わろうと思いますが、コントロール系の人間にはなりたくないと、なんとなく考えています。有料機能を使ってみます。宜しければご検討ください。


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