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20200426

2週間前にオンラインで注文したFenty Beautyのメイクアップが色々と届いた。

箱に書かれている説明文の冒頭で「ELECTRIC PASTEL POP」とある、ヴィヴィッド・リキッド・アイライナーの3色セットはそのとおり、鮮やかなネオンカラーのトリオで、わたしはその「BAESIDE」と名付けられたものをオーダーした。babeを略してbaeというのが流行っているらしいのだけど、それとbesideを合わせたのだろうか、君のそばで的な意味なのか。
セールで24ドルだから1本あたり1000円もしない。昨日、サイネリアの青紫のような、「SKINNY DIP」と名付けられたブルーを目尻にだけつけてみたら、割と肌なじみが良かった。
それからシャドウのパレットも買った。「U THERE?」というコーラルっぽいライトピンクや、フラミンゴピンクな「UPPACLASS」、と6色にいちいち呼称がついているそのパレットは「COOL NEUTRALS」。言葉に惹きつけられることもある。

20年前に上京したとき、一人暮らしをするとはどういうことなのかわからなくて生活雑貨はほとんど母が揃え、そのときから使っていた、たぶん百均で買っただろう鏡が去年ついに割れたので捨てて、間に合わせでフライングタイガーで500円くらいの両面鏡を買った。しかし安定が良くなくて、拡大鏡側はすぐに割れてしまった。そのまましばらく使っていたけど、Fenty Beautyで鏡が出ていたのでコスメといっしょに注文した。待っていたところ、ちょうど届く前日に両面鏡のもう片方も割れた。届いた八角形の鏡は、ベビーピンクの体がシックで、背面についたローズゴールドの取っ手で安定していた。安定していてさらに軽い。「TRAVEL MIRROR」と名付けられるだけある、と納得した。

8年前の今ごろ、わたしはタイから日本に帰国して、2週間近く療養でほとんど部屋で過ごした。バンコクでの手術後に10kg痩せたわたしの臀部は10年以上使い続けたベッドのマットレスが痛くて、オンラインで無印のものに交換した。その、古いマットレスを粗大ゴミに出すとき手伝ってくれた写真家の友人は、もう東京にいなくて、その友人と知り合ったきっかけを作ってくれたミュージシャンの夫婦とも疎遠になった。彼らと中高からの友人だった人をここ数年よくテレビドラマやSNSでよく見る。
父は、わたしの何が変わったと思ったのか、服とか買わんのか、ピンクとか、とあのとき言った。わたしは黒やグレーやベージュが好きで、モノトーン以外だと青が好きなのに、何の鋳型にはめようとしていたのか。わたしは、ピンクの服は持っていないに等しいけれど、2年前から1年間ピンク色の髪の毛を続けたし、コスメもピンクをよく使う。

Fenty Beautyのコスメをオンラインで注文したのも、今年の2月にバンコクに行ったときサイアムのセフォラで買った、「SHE A PROBLEM」という呼称のピンクのペンシルアイライナーがとても良かったからだった。セフォラは、東アジアでは韓国のソウルにもあるけれど、ソウルの友達に会える日はいつ来るのだろう。

ソウルが舞台のSBSのドラマ『ハイエナ』がNeflixで配信されはじめ、一気に見終えた。キム・ヘス演じるメインキャラクターのチョン・グムジャは、赤いジャージのセットアップにジャケットを合わせたり、いつもストラップ付きのスマートフォンケースを斜めがけにしていて、そのスタイルを真似したくなる。苛烈な生育環境から生き延びて、自分の運命の舵取りをしようとするグムジャは文句なしにかっこよかった。弱さを見せるときすら凛として見えた。
それで、ストラップ付きのスマフォケースの代わりに、斜めがけの小さいポーチがほしいと思ってずっとネットサーフィンをしていた。いつもiPhoneやコインケースやリップや除菌ウェットティッシュ(水洗用)を持ち歩いているわたしは、ズボンやスカート、ワンピースはいずれもポケット付きでないと買わないようにしている。そうやって諦めてきた数々を、小さいポーチがあれば手に入れられるかもしれない、と思って。Ader ErrorとかHyein Seoとか、韓国出身のデザイナーたちのものを見た。
2000年代の中盤からHip HopやR&Bは明らかにメインストリームの音楽になって、ここ10年でストリートから出てきたカルチャーやファッションのデザインは、ハイブランドでも流用されるのが当たり前になっている。ヴェトモンにいたデムナ・ヴァザリアがディレクターのバレンシアガや、ヴァージル・アブローのルイ・ヴィトンのメンズ(は、パイアー・モスのカービー・ジーン=レイモンドに盗用を指摘されている)など。そうしたブランドのインスタグラムにはKポップのアイドルたちや韓国の俳優がたくさん登場する。

街場の自前の弁護士事務所を持つチョン・グムジャは高層ビルを見上げ、わたしは「Send it out from the street to the highest」と歌った宇多田ヒカルを思い出した(Utada『Merry Christmas Mr.Lawrence -FYI』)。ヒッキーは音楽を(商業として)やるうえでは恵まれたと言えるだろうエリートで、グムジャとは同じではないけど、家族のしがらみについて考え抜いてきたところは通じる気がする。グムジャが弁護士として生きるのは、己の尊厳のための、階層の闘争で、父権社会への抵抗の力で、その補強のためには西洋古典的な美しさのドレッシーなぐあいではなくストリートの匂いがするスタイリングが必要なのかもしれない、と思った。

ピンクの服とか着んのか、と言った父を不器用な人と受け流せるときもあるけれど、少し前に用事があって電話した際に「歌舞伎町とか危ないらしいから気をつけよ」と言われて、わたしは激怒した。激怒して泣きながら、そういう街で働き、生活するかつての友人や知人の存在について、ぶつけた。と同時に、こういう田舎の老人が、今の日本を作ってきたのだとマスを見る思いだった。父は、「落ち着け、落ち着かんと話もできん」と言った。その不器用さは同情に値するところもあるかもなのだけど、感情をあらわにしないことを良しとしてきた価値観より、感情のトーンが広い方が豊かだとわたしは信じている。けど、そう説いたところで、変わらない可能性のほうが高いと嘆息した。
チョン・グムジャは叫ぶ。その多くは一人のとき、または秘書のイ・ジウン(オ・ギョンファ)しかいない事務所で。その叫び声がかっこよくて、わたしは自分の声のトーンを気にしながら、過日の日記で書いたように、叫ぶ練習をした。

そんなことを考えるうちに、夜になって、外出制限されている日曜の新宿がどんなか自転車で見にいこうと思っていたのに、結局ずっと部屋にいた。景色は変わらないから、室内で運動して、見えるものを少しだけ変えようとした。
夜は、昨日買った牛もも肉の残り半分を焼いたタリアータで、昨日と同じくほうれん草とルッコラに、焼きなすも加えた。思えば、一人暮らしを始めて料理するようになって、自分で牛肉を買ったのは初めてかもしれない。もうしばらくは、家で食べるのはいいかな。

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