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20200410

午後、小池百合子都知事が、営業の休業要請をどういう業種・施設に行うかを定例会見で話していた。
最後に、感染抑制という大義のために、不安拡大という共感の広がりではなく、「みんなでいっしょにがんばろうという共感を」と小池百合子は言っていた。本当に嫌だった。
政治は、さまざまな異なる価値観や理念の相手や立場にとって、より良い共存の可能性を探り、決断していくために、対話も必要であることから、他者への想像力が重要とは思う。しかし、共感や同情ができなければ対策を練れない、できないのであれば、それは恣意的な排除だろう。感情・感覚を共にできなくても、政治的是正の取り組みは必要なはず。
小池百合子は、過去の都知事が行い続けてきた、9月1日に東京の横網町公園で毎年営まれている、関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文を、2016年の都知事就任以来ずっと送付していない。差別や偏見に基づく痛ましい事件、あってはならなかったことを忘れないための歴史を確認する式典を、大きな自治体の首長が軽視するポーズは、差別や偏見を許すようなメッセージとなる。
小池の、「一丸となる」という主旨の共感を呼びかける言葉と、上記のメッセージ非送付の理由としての「さまざまな見方がある」という言葉には、そのあいまいさで特定の層、属性、業種(明確な医療面での合理的な理由を示さず、「夜の街」と名指して自粛を促し、スティグマ化を軽視した3月25日の会見での発言が含む問題も、忘れてはならないと思う)を排除する効果があると思う。

わたしは、わたしがしんどいとき、誰かがしんどいとき、その感情に共感や同情を寄せられなくても、不当にそうなっているならば、行政が助ける必要が、せめて検討が必要が、あると思う。
「国民(人類)の危機だから」みたいな大きな言葉と「共感」のセットで、行動変容を求めるセレブリティも出てきているから、とても警戒する。

自転車で10分くらい走って、それから歩いて30分くらいして帰って、近所のスーパーで買い出し。やっと、店内放送で客同士の距離感への注意喚起と、レジ前に待機場所の目印が床に貼られていた。
その数百メートル先の、4年前にオープンしたパン屋は、パン好きを公言する某女性の俳優(わたしもデビュー当時から大好き)のメディアでの言及の影響で、お昼どきや土日祝日は特に行列が当たり前なので敬遠していたのですが、友達がおいしい、わざわざ自転車で買いに行くと行っていたのでわたしも去年から使いはじめた。しかしこの数週間、客が3-4人も入ればぎゅうぎゅうの店内に相変わらず3人くらい入ってるし、外の列も詰め詰めなので、早く店側から貼り紙などで注意書きしてほしいと思っていた。
でも、個人商店もスーパーも、今般のCOVID-19の感染抑制において、何がどういう効果があって、営業上注意が必要なのか、下手に自己流で喚起して責任追及される懸念もあるのかもしれない、と考えた。

夜ごはんに、オカダが教えてくれた新玉ねぎにチーズをかけてレンチンorオーブンで焼いたものにかつお節かけて醤油を垂らすだけのがおいしかったので作り、昨日と同じくフルーツトマトをカットして、今日はオリーブを追加し、それと無印の「揚げ茄子と豚肉の生姜スープ」にトックを入れたもの、を食べた。インスタントみそ汁や、無印のフリーズドライのスープシリーズとか、とても便利です。フリーズドライの野菜のなかでいちばん感動したのは、なす。

昨日の夜寝る前に、「文藝」2019年冬号掲載の、柴崎友香「環状線はオレンジ、バスは緑、それから自転車」を読む。すばらしかった。タイトルもかっこいい。

〈助かるかそうでないかは、ここから出られるか出られないかは、運がいいか悪いか、それだけだとしか思えなかった。わたしが一人でいることを揶揄していた男子は、ある日突然学校に来なくなった。わたしが誰かを追いつめる側だったこともあった。〉

〈強い照明で昼間よりも明るく見える路上で、異常な湿度の中に、大勢の人たちが溶け出しているみたいだった。ここにいれば安心していられる子たちがいるのだろうとわたしは思う。夜も明るい街を歩くとき、わたしはいつも安らぐから。〉

その前に、サイドプランクとストレッチと、あと竹内亜矢子さんのパーソナルトレーニングスタジオ・LIMが数日前に公開したホームワークアウトを少しやった。

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