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20200417

自分のことを説明する人生やったから(未来もきっとずっとそう、と覚悟はしている)、そしてその言葉に対して考える時間もとってくれず、知っている範囲から出ようとせず、何かにまとめられたり当てはめられたり、あるいは一切無視されるような経験を重ねてきたから、知的な人に惹かれてきた。
高学歴な学者とか編集者とか。浅はかとも思うけど、どこの学校に行ったのかも気にしてしまうところがあって、ただ自己弁護すると先述のとおり、他者を傷つける可能性を知識が軽減するかもしれないのに、無自覚に思慮のない扱いを続ける人たちに嫌気がさしていたから、ということもある。

同じことを繰り返しているね。

オカダとかカネゴンから、あなたには雑な感じくらいの人がちょうど良いのではと言われてきたのが、1ヶ月を超える自宅滞在中心の生活、デパート、映画館、ライブハウスなど他者と接する機会をこれまで以上に減らした生活を続けながら、根拠を説明せず、さらに形骸化した言葉で政策を打ち出す行政、政治家への不信感を、これまでと変わらないと思いながらも生きることそのものへの軽視に憤りが積もって、やや心折れてしまい、どうでも良い会話を欲しながら、なるほどこういう感じを共有できるかどうかってことか、と思った。知的、高学歴であっても、もちろんラフな人はいるだろうけど。

宇多田ヒカルの『For You』という曲が好きだった。マイナーコードで、メロディも華やかではないし、ヒッキーの曲の中でも特に地味だけど、歌詞がなによりも心を打った。
〈誰かの為じゃなく 自分の為にだけ / 優しくなれたらいいのに / 一人じゃ孤独を感じられない / だから For You...〉
〈I want to make you cry / 傷つけさせてよ 直してみせるよ〉
他者との馴れ合いに安易にとどまらず、他者はそもそも自分を傷つけうる存在で、だから自分ももちろん相手を傷つける可能性があって、でも他者同士だからこそ思いやれるのだと、コミュニケーションそのものの矛盾を柔らかい言葉で肯定的に、少しの侘しさといっしょに表現し、さらに、いやそれでも他者と自分を同一化させたいというエゴも捨ててない、地に足がついた曲だと思う。

他者や社会との距離感をずっと意識してきた/している。人は、基本的に自分を傷つける存在。もちろん立場や属性の差で力関係が生まれることもあるから注意も必要だけど、お互いさまよねって軽く思いあえると良いなと、そう思える経験が最近あった。
でも、とは言っても、それまでの経験上、わたしの身体や経験はやはり特殊で、対岸で、優先順位が低くなる人の方が多いだろうなと、不安は拭えない。

こういうとき、人間関係という資本が乏しい、関係構築に障壁の高い人たちが孤立しないといいなと思うけど、日本に生まれ育ち、「自分は日本人」「自分は男/女、あなたはどっち?」とたやすく言えてしまう人らが圧倒的に多く、他者、自分と異なる存在をあまりにも無視し続けてきたのが日本だから、正直期待できないとも思ってる。ざんねんながら。

夜ごはんは、近所のパン屋で買ったホットドックに、レンチン玉ねぎにチーズとかつお節と醤油の例のやつと、トマトとオリーブのサラダ。わたし毎日同じもの食べるの平気なのよね。

わたしに電話をくれる人は少ない。いつも電話をくれていたあの人に5年ぶりくらいにコールして、つながらなかった。
寂しさがじゃまくさい。

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