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2024/05/04-10|ポイポイに代わる言葉がない

05/04

実家から帰るついでに友人とランチ。推しが以前食べていた小籠包の店が地元の近くにあって、数十分並んで食べてきた。うまいうまい。

お互い今ハマってるジャンル、興味のあるジャンル、まだやったことないけど将来やっててもおかしくないジャンルなどいくつか話題に上がった。落語、歌舞伎、麻雀、ゴルフなど。実家だと父親が割と無造作に置いてるから全然知らなかったんだけど、ゴルフのクラブってまあまあ高いのね……。こんなの何本も買い揃えて持ち歩くなんて信じられん。あと「用具」としてのクラブと「部」としてのクラブは混同されないのだろうか?

夜はドラマ『霊験お初』を観た。子どもが観たらトラウマになりそうな時代劇ホラーミステリー。ホラーもミステリーも好きじゃないので普段なら近づかないのだが、私好みすぎるキャストに負けて観た。続編くれ~。

05/05

近所のカフェをハシゴして合計5時間くらい本を読み、家でぼーっと過ごすよりは遥かに充実した、何かをなしとげたような気持ちになっている。

きょうはサガンの恋愛小説(『ブラームスはお好き』)を初めて読んだ。
恋愛小説なんていつもはあんまり選ばないし、そのうえ回りくどい表現で和訳されがちな海外の小説ともなると心理的ハードルは余計に上がる。ただ本作は身構えるほどの文量ではなく、帯で上白石萌音氏が推薦していたこともあってすんなり手に取る勇気が湧いた。萌音さんはご自身でも文章を書くうえ、かなりの読書家だ。私も大好きな古賀及子さんの日記本を以前どこかで紹介しているのを見かけたときから勝手に親近感を抱いている。

和訳はやっぱり回りくどく、一文一文を咀嚼するのに時間がかかるが、それをも愛しながら読むのが海外小説の楽しみ方なのだろうなと心得た。

05/06

先週の話。タクシーの後部座席モニターに、豆菓子に関する雑誌記事の要約が表示されていた。スナック感覚で食べられる、と書き表したかったのだろうけど、そこでは「ポイポイつまめる」という表現が用いられていて、非常にモヤモヤしちゃった。「捨てる」「投げる」「放る」ならいいけど「つまむ」「食べる」行為にポイポイはどうもしっくりこない。
では私ならどんな擬音語を当てはめるだろうか。手早く気軽に食べられるイメージとスナック自体の食感を合わせて「サクサク」か? いや「サクサクつまめる」と書いてみるとそれはそれで違和感がある。パクパクなんてどの食べ物でも同じだし、ひょいひょいだと字数も多いし頭悪そう……でもポイポイだけはありえない。そんなことを考えていたらあっという間に目的地到着。ポイポイに代わる言葉は未だ見つからず。町中の文章を適当に読み流すことが苦手だ。こういうのも職業病って言えたらカッケ~かな。

自宅アパートのゴミ捨て場に植えられた木がモリモリ葉っぱをつけて、その重みによって枝が頭を垂れてきた。ダストボックスの蓋を開けようにも人間の側が屈まねばならず、開けづらくて仕方ない。しかも冬は冬で枝が全方向に危ないし邪魔なのだ。そろそろ剪定してくれないかな。

05/07

社会人としての顔をどう取り繕ってもカレンダー通りに休める人間はどうせみんな同じ気持ちだろうからあえて言ってやる。休み足りねえよ。次の祝日が7月って何なの? 6月にも祝日作れよ「雨の日」とかさ。

いつまで経っても「労働」が身体に染み込んでこないのはどういうわけなのか。社会に出て10年経ったのが嘘みたいだ。地に足がつかないまま一生ダダこねてるみたいで本当に嫌になる。6月に一人旅でもしてやろうかなと思って楽天トラベルをちまちま見漁った(何もかもウンザリしたときの私がよくやる現実逃避の手段である)。東北か四国に行きたいな。

05/08

今度家族で鎌倉に行くことになった。祖母がいると泊まりは無理なのだけど、今回は日帰りなので多少は気が楽だ。激混み必至の時期に行くので車椅子でも入れる店をさっさと予約しておかねば。ある程度は行程も組まないと現地でグダって(私が)不機嫌になりそうなのでそれもやる。

「泊まりが無理」には複合的な要因がある。
夕方以降の祖母は情緒不安定になりがちで(家にいても帰る帰ると言って聞かない)、寝たり起きたりを繰り返しながら朝方まで家の中をうろうろ歩き回る。実家の玄関ドアは祖母が簡単に開けられないよう細工をしてあるが、ホテルや旅館ではそうもいかないので、脱走を防止するには祖母自体にデカい鈴でもつけるか、一晩中誰かが起きて見張っておくしかない。旅先でそれをやるのは非現実的なので、両親と祖母はもう何年も旅行をしていない。せいぜいちょっとしたドライブくらいが関の山だろう。

対する私は少なくとも年に数度は遠征しており、実家にお土産を贈るたびに毎回勝手に気まずい思いをしている。
祖母をショートステイに預けて両親に羽根を伸ばさせようかとも考えたが、老人ホームに入れるのにも躊躇う父の性格上、祖母抜きで自分がいい思いをするのにはあまり積極的でないように見える。しかし普段祖母の面倒を見てるのは7~8割くらい母なので、私からすれば正直やや納得いかないのだが、当の母自身が羽根を伸ばして遠出したがってるかというとそれもよくわからない。時間とお金があっても旅行はしない気がする。どうすればいいかねえと思いつつ、時間ばかりが過ぎていく。今が一番若いのに。

05/09

念願だったハンドブレンダーを手に入れたので新玉ねぎでポタージュを作った。うまいうまい。今日は朝から頭いてーし、さっき別の作業中にスライサーで指先を軽くスライスしてしまいなかなか血が止まらないのだが、それらを補っても余りあるうまさ。
人々はよく「新玉ねぎは甘い」と口を揃えて言うが、野菜嫌いの私は生まれてこの方野菜に「甘み」をあまり実感できたことがなく、旧玉ねぎや生玉ねぎの辛味と比較した相対的評価でしかないのでは?と思っていた。でも今日はじめて意味がわかった。確かに新玉ねぎは甘い。

ブレンダーの有名どころはやっぱりBRUNOやBraunあたりだろうけど、アタッチメントがゴチャゴチャついてくると収納に困るので、結局山善のシンプルなやつにした。初稼働となる今日のポタージュ、おっかなびっくりスイッチを入れたものの舌触りがやや惜しい仕上がりだったので、もっと遠慮なくウィーンとやってもよかったかもしれない。次回の課題とする。

「大抵の野菜、ポタージュにすればおいしく食べられる説」が私の中で浮上してきている。今度は緑の野菜で作ってみようかしら。

05/10

好きなアイドル(酒豪)が今度オンライン飲み会をやるという。金曜夜、任意のドリンクを用意のうえ集合ということになるのだろうけど、お酒が飲めない私はこんなときいつも小さく居心地が悪い。彼の所属するグループは海賊ばりの酒豪揃いなので、ファンの私も飲めたほうがより楽しめる気がする(シラフでも十分楽しいのだけれど)。

別にまったく飲めないことはない。なんならお酒に弱いわけでもないのだが、とにかく味が苦手なのだ。ビールやワイン、焼酎、日本酒など「THEお酒」の味が嫌いで飲めない、というのが正しい。
大学時代、20代前半の頃はカシオレばかりだけど一応飲みの席では飲んでいた。でも乾杯の席で全員生とか頼んでる中で私一人だけカシオレいっちゃうと時間もかかるし気が引ける。味が苦手とか説明するのも億劫なので、徐々に「飲めない」ということにしてひたすらウーロン茶だけ飲むスタイルになった。

正直なところ、嫌いでよかったとも思っている。
私は自分に甘いので、晩酌が習慣になってしまえばアッサリ止められる気がしないし、コロナ禍で家にこもりながらお酒飲むのがクセになってたら、人知れず依存症みたいになっててもおかしくない。タバコにもギャンブルにも手は出さない。性格上、歯止めが効かなくなりうるとわかっているからだ。

そういえば私が中学生の頃、当時好きだった別のアイドルがお酒でやらかしたことがある。仕事の付き合いの飲み会で、未成年にもかかわらず飲んで泥酔し、なんやかんやで補導されてそのまま2年間も表舞台を退くこととなった(もちろん本人が一番悪いが、令和の今だったら周りの大人のほうが責められる案件だと思う)。
お酒は人格と人生をこうも変えるのか、という恐怖がそこで芽生えてしまった。それもあって私は「泥酔する」「つぶれる」「飲みすぎて吐く」「終電で寝過ごす」「どうやって帰ったか覚えてない」「二日酔いでダウン」みたいな経験を人生で一度もしたことがない。自分が自分でなくなっちゃうくらいなら飲まないほうがよっぽどマシだ。私以外の人がぐちゃぐちゃに酔っぱらってるのを見るのは割と好きだけど。

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