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ヨガの世界で「心」とは?

最近、ヨガ哲学のクラスを受けたのだけど、さっぱり頭に入らない。「詳しくはヨガスートラ(インドで4~5世紀ごろに書かれた経典)に書いてあるから読め」と言われ買ってみたものの、ごめんまったく読む気がしません。日本語訳もイマイチよくわからんし。。。ってなことで、とりあえず、ヨガスートラで語られる「チッタ」の意味がわからないので調べてみました。困ったときのネット検索で。

なぜ「チッタ」を調べたいのか

「ヨガはチッタ(心)の作用を止める」みたいなことがヨガスートラの2行目に書いてあり、これが最重要キーフレーズのひとつなのですが、その「チッタ」が何者なのかがさっぱりわからんのです。

で調べていたら、このサドグルYouTubeがわかりやすいのでご紹介。

ヨガの世界にMind(心)というものはない

かなり断言(グルの言葉をそのまま日本語訳)しましたが、もう少し丁寧に言うと、心や意識について語る際に、「Mind」という一語でまとめてしまうのは適切ではないということのようです。

グルの話によると、心は「記憶と知性が組み合わさったもの」だそうで、「Physical body」(物理的な部分)と「Mental body」(精神的な部分)があり、無数の記憶がその中に入っているそうです。

Mindを構成する4つの要素

いわゆる世間一般的に「Mind(心)」の一語でまとめられているものには、次の4つの要素があるとヨガの世界では考えられているらしいです。

① Buddhi(ブッディ)
思考のこと。記憶をもとに思考を行う。過去から得た記憶を使って思考を行う(データ処理)だけで、新しいものを生み出すことはしない。

② Ahamkara(アハンカーラ)
アイデンティティのこと。人の行動や思考はこのアイデンティティに左右されることになる(たとえば、「自分がインド人である」と自己認識する人は、インドのものがすべて美しく見える)。

③ Manas(マナス)
大量の記憶のこと。遺伝する情報も記憶に含まれる。体全体(マノマヤコーシャ)で運ばれている。

④ Chitta(チッタ) 
まったく記憶の影響を受けない純粋なる知性。チッタに触れることは創造の源に触れるということ。

これでチッタが何かわかった?

残念ながら答えはNOです。

なぜなら、BKSアイアンガー先生の「ハタヨガの真髄」(沖正弘監訳)にはヨガスートラの解説として「チッタという言葉は、全体的、集合的な意味での心のことであり、次の3つのカテゴリーに分類できる。①心(マナス)②知性あるいは理性(ブッディ)③自我(アハンカーラ)」(一部省略)と書いてあり、あれYouTubeのグルの言っていることと違うんでは???

ヨガ哲学にも、色々解釈あるってことですかね?

誰が言っている何が正しいのかを判断できる材料を私は持ち合わせておりませんが、YouTubeの陽気なグルの話が私にはわかりやすかったです。

結局は、ヨガスートラを読めってことかな。。。

それは、またの機会に。

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