こなそんフェスから2年が経った。

2018年7月21日,22日。福井に住んでいる自分は、徳島にいた。

目的はアスティとくしまで行われる、「こなそんフェス」。

地元バンドチャットモンチーが主催するフェス。

そして、チャットモンチーのラストライブ。

といっても、悲しくではなく、笑って終わることができた。


今までを振り返り、

スリーピースから始まり、2人体勢、男陣、乙女団、メカチャット・・・

とできることは全てやったのではないかと思わせる。

そんなライブ。


〇完結ということ

こなそんフェス1日目の夜、大学からの縁で同じこなそんフェスに参加した、

徳島県民のda-nakaという男と飲んでいた時に、話していたことを思い出す。

(ライブ疲れに酒が回って、今の記憶にズレがあるかも。)

まず、7月頭に武道館で行われた、ラストワンマンが「お別れ・終わり」という意味合いが強いということ。

それは、セトリを見れば明らかだ。

二人"だけ"で仲良く入場。

最後のアルバム"誕生から"しっかり曲をやりつつも、初期アルバム"耳鳴り"や"生命力"の曲もしっかりやり、シャングリラもやった。

そして、ワンマンの最後の一曲を、初期の名曲「サラバ青春」で締めている。

まごうことなき、卒業ソング。

この瞬間にチャットモンチーは完結したのかもしれない。

と話をしながら思っていた。


・・・そう思っていると、blu-rayを買ったのだけど、中を見られない。

自分の中で、色んなものがあふれ出しそうだったから。

開けないまま2年が経過しそうだ。


〇スタート地点

一方で、こなそんフェスは、お祭りで「2人の門出を祝う」といった内容と感じた。


初日は、既出のアルバム"耳鳴り"のツアーを回った、ベボベことBase Ball Bear、シュノーケルの2組が参加。


ベボベは、完結を祝いながら「俺らはやめない」という意思の入ったライブ。


シュノーケルは、活動休止などを挟み、活動しており、呼んでもらったことへの感謝を述べ、ライブをしていた。


奥田民生も来たりとやりたい放題。


ラストのチャットモンチーは、各バンドとのドラムとコラボし、演奏。


この日のピークは、

その3組がそろってセッションした"今夜はブギー・バック"、

続いて、スリーピース時代のDr.高橋久美子を呼んでの"シャングリラ"

もう明日死ぬんではと思う光景でした。


2日目は同郷、(一部)大学同級生バンドの四星球が、Ba.福岡晃子の父親(校長先生)を呼んだりとフリーダムなライブ。

一気にファンになりました。

ベテランのスピッツや森山直太朗も印象的でした。

この日も、チャットモンチーは、各バンドのドラムとコラボ。

最後をシャングリラで締め。みんなで阿波踊りをして終わり。

もう先の通り、送り出す気持ちは整っていたので、気持ちはすがすがしかった。

チャットモンチーは終わっても、2人を見れるときは来ると信じて待っていた当時。

今、2人は、個々で色々な活動をしている。


〇次世代

特徴的だったのが、どちらの日にも、ガールズバンドを前半に据えるタイムテーブルだったこと。

一日目がyonige、二日目がhump back。

どちらも好きです。

特に二日目のトップバッターのhump backが圧巻のライブでした。

チャットモンチーのトリビュート盤で披露された"湯気"をセトリの一曲目に据え、一発で観客を虜にした。

Vo.Gt 林はチャットモンチーが青春だったと、その思いを涙ながらに語るMC。誰かの青春になると宣言。

その気持ちの熱さが伝わる"星丘公園"で最高のライブを終えました。

その後のhump backの飛躍はとんでもないです。

yonigeもめちゃくちゃ飛躍した。


〇最後に

こんな感じで、ラストライブというよりかは、送別会の2次会、3次会のノリで、終始「笑って送り出そう」という気持ちのこもった最高のフェスでした。

最後なのに心が晴れやかになる感じは初めてでした。

「この同じ空の下で生きてるんだ」とロードオブメジャーっぽい思いがでていました。

実際、再始動したことで、目に触れる機会が増え、嬉しいです。

また、書ける機会があれば書きたいと思います。

当時の写真は携帯が変わったことで、全紛失。こういったことの無いようにも、今後は、noteに文字と写真で残していきたい。

気持ちをぶつけすぎて文章がおかしい箇所があると思いますが、ご了承ください。


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