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類型

Twitterの類型界隈という所へ身を置いて3ヶ月が経った。短いようでとても収穫の多い3ヶ月だった。

思春期の頃は同級生や先輩後輩など、歳の近い子らと対等に心がむき出しの状態で関わり、交流するということは特段珍しいことではなかった。
しかし一度社会人になれば人は社会のための人格を装い、仕事が円滑に進むよう、大なり小なり自分の内面や尖った部分を隠すようになる。

しかしこの界隈はそうではない。皆が16タイプ(一番メジャーなMBTIを例に挙げる)それぞれの個性を知る為、可能な限りありのままの姿を見せようとする。どのような思考を持って決断するのか、普段どんなことを考えているのか、時には哲学的な問題に対して語り合うこともある。
質問をすれば、積極的に答えようという姿勢を見せる。
人にはよるが基本的にどの人も尊重ベースで相手を知ろうとし、自分を見せてくれるのだ。

そのような場所というのは中々ない。匿名性の高いインターネットでさえ現実が侵蝕してきて今となっては境が曖昧だ。
他者を尊重しながらも他者のことをよく知ることができるというのは得難い機会なのである。


この界隈に属していると色々な発見があるが、その中でも特に私が学びになると感じることがある。
それは過去に衝突を避けれなかった人間関係の登場人物と似たような人々に偶然出会うことだ。

冷静を欠き、既に一度歪んでしまった関係性では知り得なかった相手の価値観のようなものに触れる事になる。「ああ、あの時彼女もそう思っていたのかも知れないな」そう感じ、ストンと音を立てて過去のイガイガが腑に落ちるのを感じる。

ただひたすらに価値観の相違によりすれ違ってしまったこと、相手に悪意がなかったこと、自分自身にも悪意がなかったことを理解する。
言葉でのコミュニケーションに限界を感じるのと同時に相手の価値観を知らないことへの不安定さを感じる。

互いに本当の意味で理解し合えば衝突することはなかっただろうと考えたが、冷静を欠いていたのだ。その時はどうしようもないかもしれない。相手の価値観があるとき、こちらにも譲れぬ価値観があるのだから。

閑話休題

また、類型にも様々なものがあることを界隈にて知った。
MBTIの他にもエニアグラムやソシオニクス、サイコソフィアと言ったものもある。

私は類型に関する書籍を手に取ったことがない。似たようなもので言えば認知心理学関連の書籍を一冊読んだことがあるくらいだ。
類型に対してそんな態度なので名前くらいは聞いたことがあって心理テストくらいはしたことがあってもそれらが一体何なのかは知らなかったのだ。

しかし、この界隈には色んな類型に精通した人が各類型毎に数人いる。
特に書籍や海外の文献を漁っているような人はとても詳しい。正直日本語でネットに転がっている情報を遥かに超える知識だ。
この界隈にて実際に多くの人間をサンプリングし、学びを続けた結果だろう。そのような人々の話を聞くのは大変面白い。

閑話休題

更には普段関わることのない人々に関われるというのも大きな利点だろう。

社会人生活はともかく学生生活を思い浮かべてほしい。
クラス内や学年内には気の合う友人同士で自然とグループが分かれていたのではないだろうか。
ヤンチャなグループや大人しいグループ、マニア気質なグループやアイドルが好きな女の子達、いつも1人で休み時間は寝てる子───

何も考えずにボサッとしていたら喋らずじまいで、卒業を迎えた子が過半数を占めている。
そのように一番苛烈に人とぶつかる時期に関われなかった人々と関わることができる。

人見知りでどのようなテンションで相手に話しかけるか学ぶ前に大人になってしまった人など、練習にピッタリじゃないか?と思う。(本人が望んでいる場合のみだが…無理にはすすめない)

この3ヶ月は本当に濃厚な期間で、語り出したらキリがない。全く纏め切れないほどに有意義な時間だった。これからも暫く人々を観察し、観察されようと思う。

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