「普通の人」になれない

 追い詰められる状況になるとそれが高いストレスとなり、寝ても覚めても不安が頭から離れない。一体どうすりゃいいんだもう自分はおしまいなのではないか、くらいのことを考えるしその考えに捕らわれ続ける。

 で、自分の場合、それが二ヶ月くらい続くと心身が深刻なことになる。二ヶ月の間に状況が解決すればいいけどそれより長く続いたら…自分の特性が解っていると時限爆弾を抱えているような気分になる。

 そして、問題が解決したり追いつめられる状況が急に消えたり減ったりすると、ホッとすると同時に、どうして自分はあそこまで不安だったのだろう追いつめられていたのだろう、と不思議になることもある。まあ、相当深刻に追い詰められている場合だと、ああよかった病院送りにならずに済んだ死なずに済んだ!としか考えられず、不思議に思いながら振り返る余裕すらないわけだが。

 ここまでつらつらと書いてきたが、どうも「普通の人」はそんな状況には陥らないらしい。悩んだり困ったりしつつも心身が深刻になることもないらしい。これは自分なりに周囲の人間を観察したり人の話を聞いたり(聞かされたり)して解ってきたことである。

 どうして自分は「普通の人」になれなかったのか、「普通の人」にどうすればなれるのか、「みんな大変なんだから」という言葉をポジティブな励ましの言葉として受け取れる「普通の人」には一生なれないのだろうか、なんてことを考えながら生きてきたし今でも考えている。

 「普通の人になれないのだからそのことを前提にどう生きていけばいいのか」ということも考えざるを得ないのだろうなあということにも気づいてきた。しかしどうすればいいのだ?「普通の人」でないことに苦しんでいる自分にそんなことができるのか?

 結局自分は「普通の人」信仰にとらわれてずっと生きてきたし、その信仰から完全に自由になれることもないのでは?とも思っている。

 さてどうしようか?というかどうすればいい??


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