ラブソングを聴く理由:02
あ、まずい。落ちる。
そう思ったときには、私の心はストンと彼に落ちていて、初めて踏み入れた世界にどぎまぎしていた。
前髪が割れていないかな、リップは今すぐ塗り足したいな、ああなんでバイト先で出会いがあるはずないなんて、思ったんだろう。
私の中を駆け巡る女の子のそれが、泣いていたと思う。
大学生、いくつかのバイトを転々として、ようやくみつけた条件のいいレストラン。
お金さえ、稼げればいいや。
そう思って、ひっつめ髪と、最近覚えたBBクリームをどうにか塗った顔に、サイズの合わない間に合わせのシャツ。お世辞にもコンディションが良いとは言えない自分の姿を、消え入りたいほど後悔したのをよく覚えている。
貴方の名前すら知らない。
それでも落ちてしまったものは戻るどころか、深みにはまっていく一方で、まだ存在しか知らない彼の、全てを知りたくて堪らなかった。
「あ、私、」
名前を名乗る。彼の中で私という存在が初めて認識される。自己紹介が、こんなに貴いものだとは。
同じように名前を名乗って、くしゃりと笑う私より20cmは背の高い彼が、私に向かって手を差し出す。その瞬間を切り取って保存して、帰って30回は再生した。
リプレイ。
いいことがあったときだけ、脳内のダビング機能が動き出して、その瞬間を擦り切れるほど再生できるようになる。手も足もバタバタさせながら、ベッドの上で、目を閉じると、リプレイされる愛しい記憶。
これを飽きれるほどやって、多分リプレイの最後の方はちょっと脚色されていた、と思う。
私はこの人のことが、好きだ。
そう認識してしまえば、あれだけ語った理想の男子などどうでもよくて、ただ目の前に存在する好きな人の全てが魅力的で別世界だった。久しぶりに甘いラブソングなんか聴いてみたりした。
17歳で受け止められなかった眼差しを、きっと今なら抱きしめられる。
そうして、私がレストランの全てのメニューを諳んじるようになった頃には、彼が私と同い年であることや、彼の恋人が一つ上であること、彼女がランチタイムによく遊びに来る綺麗な人だということも、当たり前のように知っていた。
付き合いたいとか、自分のものにしたいとか、そうじゃなくて。
同じ空間で、同じ仕事をして、たまに目が合って、たまに肩が触れる。それだけで十分幸せ。
20歳を越えてようやく、恋が、始まった。
誰に自慢せずとも、私の中のときめきと、彼がいることで見える景色の、なんて色鮮やかで甘ったるいこと。
子供の時、真ん中に穴の空いたパイナップルの飴玉を、初めて口の中にほうりこんだ時の、舌いっぱいに広がる幸せと、同じ味がした。
でも、そんな甘さと同時に、少女漫画みたいにキラキラした恋は、やっぱり現実では難しいということも、知ることになる。
_
次に続く
(全5回で終わるといいけど)
音楽活動の足しになります、執筆活動の気合いになります、よかったら…!