見出し画像

Aマッソ+KID FRESINO “QO”を観た

1月末、Spotify O-EASTのAマッソ・KID FRESINOによるライブ“QO”を観た。
Aマッソもフレシノも大ファンというほどではないが、ツイッターで情報を見た瞬間「これは何かとんでもないことが起こりそう!」とエンタメアンテナがピンと立ち、すぐに購入ページに進んでいた。

エンタメアンテナの読み通り実際にとんでもないライブだったのだが、開演前にネタバレ禁止が強く呼びかけられておりこの時期の投稿となった。
2月に大阪・福岡でも同公演があったための緘口令である。
それでも感情を抑えきれず以下のツイートをしてしまっている。ごめんなさい!

あまりにもジャンルの異なる2組のため、当初はいわゆる対バン形式で前後半に分かれてネタおよびライブをやるものだと思っていた。
しかしフタを開けてみると2時間ぶっ通しのワンマンライブで、これまで観た様々なスタイルのライブのどれにも当てはまらない衝撃的なものだった。

お笑い好きのダルい戯言になってしまうが、“お笑い×ミュージシャン”というフォーマットにあまり良い印象がない。
人気の歌ネタに人気のアーティストを無理やりねじ込み、面白さ半減・アーティストもイメージダウンという誰得パフォーマンスになってしまっているのをテレビでよく見かける。

しかし、この“QO”は違った。
「Aマッソ+KID FRESINO」という1アーティストの不思議な作品が目の前で繰り広げられたのである。

鬼才×天才×奇才

このライブには映画監督の長久允が演出家として入っており、言われてみれば映画を観ているような感覚があった。
バラバラな時間軸のフレシノやAマッソが過去を演じたり、狂気のクレイアニメが突然始まったりと怒涛の展開でありながら、タイトル“QO”にも繋がる1本のストーリー・軸がしっかりとあることで作品としての奥行きが生み出されていたように思う。

ライブ後には“シームレスすぎるよ〜”という感想で頭の中がいっぱいになった。
コントから曲へ、曲から漫才へ、という流れがあまりに自然で、かつ読めない展開だからみるみるうちにその世界に引き込まれていってしまった。
お笑いと音楽の障壁を取り払う究極型が2時間に詰まっていたように思う。

また、お互いを茶化す様子が一切なかったのも格の高い作品として成立した要因だと考える。芸人とラッパーなんて茶化しあってナンボみたいな関係性なのにそれがなかったので、フレシノのコントもAマッソのライブシーンもすんなりと受け入れることができた。

Aマッソ・KID  FRESINOの互いへのリスペクトが生んだ傑作を生で観ることができてよかった。
冒頭でそれほどファンではないと書いたが、どちらも大好きになってしまった。それほどのパワーがこのライブにはあった。
3/12まではアーカイブ配信があるようなので、キワモノ映画を観る気分でぜひ観てほしい。

『Presence』マジでよかったな~~~

脳内の引き出しが足りないので外付け脳みそとして活用しています。