ミスiD自己PR ver.2.5

これは三回目のミスiDの自己PRである。
一回目の自己PRはこちら。

そして、あめちゃん主催の企画で、「もう一度自己PRを書こう!」と書いた二回目の自己PRがこちら。

私は今日三回目の自己PRを書く。
と言っても前回の続きというよりかは、ミスiDエントリー期間を通して、自分の中にまったく新しいものを見つけられた事について書きたい。従って自己PR ver.3.0ではなく、自己PR ver.2.5である。そして、今回はあまり推考をせずに書いてみようと思う。読みにくい文章になってしまったら申し訳ない、そっと閉じてください。




与えたい影響が思い付かなかった。私がミスiDに出ることで伝えたいことも、これと言ってなかった。
周りを見れば「自分を見てこう感じてほしい」という方がたくさんいて、焦りとまではいかないものの、そういった気持ちがないことが私は少し不思議だった。

昔、他の名前で物作りなどの活動をしていた時は「与えたい影響」がはっきりと存在していた。私の活動を通して、伝えたいことがあった。今はどうだ。そういった気持ちがわかなくなったのは、おそらく人に影響を与えることが怖くなったからなのかもしれない。

ミスiDにエントリーしてから、たくさんの人の言動を目にするようになった。そのほとんどが、同じくミスiDにエントリーした人たちのSNSでの発言である。本当に色んな人がいて、色んな考えを持っていて、色んな方法で発信をしていた。そして私も私なりの考えを持って、私なりの方法でそれを発信した。

その中で、私は自分の今の状態をなんとなく掴むことができた。それは「みんなと比べて」でもあったし「今までの自分と比べて」でもある。ミスiD期間で自分の過去をしっかりと捉え直す作業の中で、私は今、わりと落ち着いていること、それでいて、過去のぐちゃぐちゃしたものをしっかり持ち続けていることに気がついた。

私はずっと、忘れることが怖かった。
「落ち着きたい」と泣いた日、落ち着きたいと願いながらも、今このときの本当の気持ちを忘れて幸せになってしまうことが死ぬほど怖かった。死ぬほどというのは比喩とは言えないかもしれない。本当を忘れて幸せになるなら死んだ方がマシだと思っていた。

でも、今、私は落ち着いている。落ち着いて、こうやってその時のことを思い出しながらnoteを書いている。ミスiDにエントリーしてからいくつかのnoteを書いた。そのほとんどが、過去の私のことを書いたものだ。なんだ、と思った。私は意外と、あのぐちゃぐちゃした思いを覚えていた。拍子抜けした。私は死んでいなかった。

おそらく落ち着いたことで失くした気持ちは少なくないと思う。あのときの焦燥感や、えげつないほどの不安感などは今はほんの少ししか残っていない。ただ、あの時ぐるぐると考えていたこと、知ってしまったこと、気付いてしまったことは、今でも覚えているのだ。事実としてそこにありながら、それと共存しているのだ。こんな未来があったのか、あの頃には想像もつかなかった生活を、私は今送っている。

辛いとき、幸せになりたくないと思ってしまう。それは辛いときにしか気付けない本当を、忘れてしまうような気がするから。
私は今になって、みんなに言いたいことができた。伝えたいことができた。
「安心してほしい、そのぐちゃぐちゃは大丈夫になっても消えない」

いったん、消えた、と思うかもしれない。もはや実際、消えるのかもしれない。むしろ私のこの「消えなかった」は希望的観測であって、間違っているのかもしれない。
でも、と思う。
それでも、私が持っているこのぐちゃぐちゃは真実だ。切迫した気持ちはないが、真実だ、経験だ、気付きだ、知識だ、私の一部だ。確かにそれがすべてではなくなった、それだけを考え続けることはなくなった。でもそれは私の指、手、足、関節、臓器になって、生き続けているのを感じる。

嬉しい、嬉しいと思う。最悪は、ぐちゃぐちゃは、消えなかった。私はそのことを伝えたくなってしまった。「ミスiDで与えたい影響」というと、なんだか重たい気持ちになってしまうのでそこまでは言えないが、私はこの体験を、伝えたくなってしまったのだ。あなたに、というのもあるが、一番は、あのときの私に。
たぶん、たぶんだけど、大丈夫、今の私は一生死なないし、今のあなたも一生死なない。

大丈夫になったらみんなで海に行きませんか。朝の海辺を歩きませんか。大丈夫じゃないときの海も、大丈夫なときの海も、海は海だから、そして、私も私だし、あなたもあなたなので。

絶対に1200文字越えてるな、と思ったのでここで終わります。ありがとうございました。

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