何者かにはなりたくない

「何者かになる」ってなんだろう。
自分の得意分野で有名になることだろうか。自分を「こういう人」という魅力的な箱に収めることだろうか。「何者かになりたい」と言葉にする人はあまり見かけないが、それは私の視野が狭いだけで、その理由でミスiDを受けている人も少なくないのだろう。このnoteで話すことは自分の気持ちについてであって、何者かになりたいと思っている人を貶しているわけではない。そこは覚えていてほしい。

私は何者かになりたくない。
エントリーシートの自己PR文でも書いたが、私は何者かになれる人間ではないのだと思う。仮に私が何者かになれる人間だったとしたら、もうとっくになっているだろう。自分の才能の芽を生きにくいからといってすべて刈り取って、キレイになった庭に寝っ転がってずっと空を眺めている。「こんなはずじゃなかっただろ」という歌詞が、今になってやっと響く。

私は私を評価してほしくてここに来た。何者かにならなくても、お前はお前のままで充分面白いよと誰かに言ってほしくてここに来た。私は面白い人間だ。面白い人間だし、面白い人間だと思うし、面白い人間だと思いたいし、面白い人間だという信念にすがり付いて生きている。今ならわかる。自分の中、僅かに残ったミリ単位の希望の存在を、誰かに裏付けて欲しくてここに来たんだ。

自分の作品を見てほしいとか、誰かに何かを伝えたいとか、こういう影響を与えたいとか、そんな立派な理由は二の次三の次、五十くらい次だ。ここにあるのはブラックホールのような承認欲求、自己顕示欲だけ。私はそれをわかっている。毎日毎時間毎秒それに飲み込まれそうになりながら、どうにか命を繋いでいる。滑稽だと思う。たぶん、あなたよりもあなたよりも私が一番思っている。「すごいね」って言ってほしいだけだ、「面白いね」って言ってほしいだけだ。なんて哀れな人間なんだ。時々自分を省みては、なんだこの生き物はと驚いてしまう。

そんな中この間「無限ちゃんが自己主張してくれたから出会えた」という言葉をいただいた。

驚いてしまった。私のこの泥のような性質を、そんな風に捉えてそんな言葉に変えてもらえること。嬉しいと同時に悔しいと思うくらい、私の中に存在しない考えだった。私のブラックホールは、時々私以外の人も飲み込んでしまうらしい。それが良いことなのかわからないが、私は本当に、心から嬉しい。

仮に何者かになってしまってその箱の中で身動きが取れなくなることを想像すると、血の気が引くほど怖い。私は私だ。過去も今も未来も私。どんなに形を変えてもどれだけ大事な物を捨てても私。何者かにはなりたくない。私は私のままでいい。そして欲を言うならそこのお前、私は私のままでいいって言ってくれ。

noteの記事数はこの投稿で54個になったらしい。ミスiD2022にエントリーしてからこのアカウントを作り、すべての記事にミスiD2022のタグを付けていたので、ミスiD2022というタグのついた972個の記事の中のおよそ1/18が私の記事だ。よくもまあここまでネタがつきないもんだなと思うが、これこそが私を見てくれ知ってくれというきもちの現れ、自己顕示欲アンド承認欲求の具現化のようなものだと思う。「僕の形が見えますか」「喚く声は聞こえますか」どうですか、届いてますか?

何者かにはなりたくない。もがきながらでも喚きながらでも、否定されてもそう思っていたい。
私、ずっと私でいたいな。

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