そんなにかっこよくないよと叫びたい

苦しい。今の私がそう言ったら何人の人が傷付いてしまうだろう。
つらい。今の私がそう言ったら何人の人が「通ったくせに何言ってるんだ」と思うだろう。

自分が言葉を発したあと、いつもいろんな声が聞こえてくる。実際に聞こえてくるわけでもなければ、相手がそう言ったわけでもない。心臓の中に別の私の声が響く。それ、相手は傷付くかもよ?

想像が得意だ。実際の会話より、自分一人で物語を作る方が何倍も得意だ。だからこそ自分の発言に5人くらいの私がてんでばらばらな妄想を返してくる。あの人は嬉しいだろうな。この人は悔しいだろうな。たくさんの声がある分どれかひとつくらい相手の感情と合致すればいいものの、実際にはかすりもしないんだからたちが悪い。

後になってわかる、人を傷つけないための行動が今のあなたを傷付けること。

人を傷付けたくない。なぜなら人を傷付けるような私になりたくないからだ。私は私のことを好きでいたいからあなたのことを傷付けないように一生懸命行動する。大好きなあなたを傷付けたくない気持ちは2割くらいだろうか。残りの8割は、大好きなあなたを傷付けた自分に傷付きたくない気持ちだ。そこにかっこよさがあるだろうか。あなたのためじゃない。私のためだ。

だいたい大好きってなんだ。嘘は付きたくないから大好きな気持ちに偽りはないが、あなたのことが大好きな理由を私はわかっている。本当に酷い言葉を使うが、たぶんあなたに興味がないからだよ。嫌いになれるほどあなたに対して興味がないんだ。最低。最悪。嫌いになれるのはいつだって自分。興味の対象はいつだって自分。

なんだってだいたい許せてしまう。私が家族以外に対して怒ることができるのは、私の中の一人が「今怒るべき場面だよ」と教えてくれるからだ。うまく怒れないのは伝わるまでに時差が生じるからだ。興味がない。なんてひどい言葉なんだろう。

復活戦で、ミスiD期間で、かっこいいとたくさん言ってもらった。人からの嬉しい言葉は謙遜せずに受け取れる自分でいたい。相手の言葉を返品するような真似はしたくないからだ。でも薄々わかってきたな。本当は相手の言葉を返品するようなことをする私でいることが嫌なんだろ。騙せると思ったか。全部わかってるんだよ。

嫌われる自分を許せないから相手を傷つけない私のどこがかっこいいんだろうか。おそらく本当にどこかはかっこいいんだろう。かっこいいと思えるところがあったんだろう。このnoteを読んでも変わりませんか。私は今、高確率であなたを傷つけています。

悔しいな。なんで人間は万人に好かれないんだろう。そんなことを考えるなんて、それぞれの考えを尊重できない私になってしまう、でも尊重できない私を尊重できない私にもなる?もうわけがわからない。

私にないものを持っているあなたがかっこいい。違うと思うことを違うと言えて、嫌われることより嫌われた自分を嫌うことより、自分の正解を大切にできるあなたがかっこいい。私に正解なんてない。あるとしたら自分を好きでいられるかどうか。そこに信念なんかこれっぽっちも存在しない。

そんなにかっこよくないよと謙遜するなんてそれこそかっこよくないよ。でも自分の気持ちを言えないのもかっこよくないよ。じゃあ私はどうしたらいい?私はそんなにかっこよくないんだよ。

苦しい。どんどん人からの愛を感じて苦しい。暑苦しい私を、有言実行する私を好きになってくれて苦しい。それはたぶん私じゃない。いや、私なのかもしれない。わからない。私はここにいるよ。

面白いねって、すごいねって言ってもらうためにやってきた。選んでもらうためにやってきた。嬉しいのに。選んでもらえて嬉しいのに。好きになってもらえて本当に嬉しいのに。ずっとずっとずっと思う。私、あなたを騙してないか?

ただ、一部だよ、とも思う。嘘はつきたくない。暑苦しい私も、有言実行する私も、私の一部なんだと思う。そしてミスiDはたぶん、その一部ではなく他の部分も見てくれているんじゃないか。かっこいいを跳ね返す最悪な私も、自分を守るために人を傷付けたくない私も、私の腕として脚として、認識してくれているんじゃないか。

ここに来られて嬉しい。嬉しいのに今こうやって感謝の文章より先に自分の汚い感情を書く私はあまり好きじゃない。そしてあまり、嫌いでもない。本心なんていくらでもあるよ。ひとつにしぼれない私はかっこよくないかもしれないけど、ひとつにしぼれない本心をすべてさらけ出す私は少しだけ、かっこいいと思う。

このままでいよう。私が私のまま生きられることを証明しよう。かっこいい私、そこにいるんだったら、かっこよくない私をどうか守ってくれ。

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