こんなんでファイナリストになれるのか

そんなような言葉を見かけた。それは私にかけられた言葉ではなかったが、私はモヤモヤとした気持ちになってしまった。

おそらくその言葉を発した子と言われた子の間に何かあったのだろう。もしかしたら暴言や嫌がらせがあったのかもしれない。理由や事情が何一つわからないので、今私がこうして文章を書いていいのか疑問ではあるが、どうしても、どうしても言いたいことがあったので書きたい。

(まず、本人に伝えようかと考えた。そして自分が伝えられる立場だったらどう思うかな、と考えてみた。興味のある人からの考えや、考えの伝え合いだったらとても嬉しいことだが、興味のない人にいきなり「私はこう思う」と言われても「あなたに言ったわけじゃないのに」「自分の場所で勝手にやってくれ」と思ってしまう。そしておそらく私はその子にとって興味のない人にあたる。
だからせめて見える場所で書こうと思う。コソコソとした陰口などは言いたくない。その子のことはまったく嫌いじゃない。嫌いじゃない人を不快にさせたくないので、もし不快に聞こえたらブロックをしてほしい。よろしくお願いします。)

こんなんでファイナリストになれる、じゃない。こんなんだからファイナリストになったんだと思う。

大なり小なり、これは大変なオーディションだと感じる。自己PRやカメラテストももちろんだが、半年間で起こった様々なことに対して自分なりの選択をしていくことでその人の人間性がぼろぼろと見え、そしてそこをまた選考されるような、厳しくて現実味のあるオーディションだと思う。だからこそ、外面のいい人だけが選ばれるオーディションではない。それはたぶんもう、誰もがわかっていることだ。

自分の人間性を見せることは、そして自分の人間性を認識することは、私にとって本当に怖いことだ。もしかしたらそんなことをしないで通っている人もいるかもしれない。私のように足掻く側の人間がいれば、足掻かずに素晴らしい武器で戦える人もいる。でもやっぱり、大変なことは少なからずみんなにあったのではないか、と思う。

そして「こんなんで」と言った子にも大変なことや事情は絶対にあるはずだ。だから100%ファイナリストの肩を持つわけではないが、その子が自分の場所でそう発言していいように、私もなんだか、受け入れられなかったんだよ。

通ったからにはその理由があるはずだ。そしてその理由を見つけられないとき、理解できないとき、人は「こんなんで」と感じるのかなと思う。でも、隠しているなら隠しているで、性格が悪いなら性格が悪いで、面白くないなら面白くないで、そういうマイナスに見える部分も含めて「認識できる部分」をしっかりと見てもらって選ばれたのがこのファイナリストなんだと思う。だから、「こんなんで」であると同時に「こんなんだから」ファイナリストになったんじゃないか、と私は感じている。

ただ、何度も言うが私はその子気持ちの由来を何一つ知らない。そしてたぶん、私の気持ちの由来も知られていないだろう。そんな中で自分の気持ちを言うことは勇気のいることであり、あまり自分事としては思えないが、悪い訳がないんだ。その子の発言を否定したいわけではなく、私も発言がしたくなった。それだけのことである。

そして私は人のことを考えるふりをして自分のことを考えるのではなく、いい加減自分のことをきちんと真正面から考えないといけない。ここから先どうしよう、の答えをどうにか短期間で掴み取らないといけない。自分を見よう。自分のことで悩もう。いつか「こんなんだからファイナリストなんだな」と思ってもらえるように。

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