最終面接

パフォーマンスの最中、選考委員さんの一人が水を飲んだ。それだけで世界の終わりを告げられたような気がした。

あそこで私がパフォーマンスを中断して怒り出したら印象に残ったのかななんてことを今になって考える。それでも「続けて」って言われたら「何を偉そうに」って返して…。
あとから想像することならいくらでもできる。エントリーシートにも書いたが、何かあったときにその場で笑うことしかできないのが私だ。後からしか選択肢が見えない人間。会話が下手なことも、文章でなら考えが纏まることもそれが理由なら頷ける。

私は中断するなんて思い付かないほど必死だった。たとえその場で思い付いても実行に移すような人間ではない。選考委員さんが水を飲んだとき、心が折れる音がした。何をそんなことでって思うだろう。でも私は、今をすべてかけてここでこうして喋ってるんだよ。

パフォーマンス中、選考委員さんの誰とも目が合わなかった。半分以上手元を見て喋っていたから当たり前なのかもしれないが、視線はたったの一度も感じなかった。全部私の力不足だ。私は私の「今やりたいこと」をやった。じゃあ私の「今」が不足していたんだ。

たしかにやっていることや背負ってきたものは人と比べて薄っぺらい自覚はある。壮絶な過去なんて持っていなければ歌が上手いわけでもない。武器なんてなにひとつない。「見てほしいという気持ちで武器も持たずにここまで来ました」。でも今という貴重な命のすべてをかけて喋ってるんだよ。これっぽっちが命かって、水を飲む仕草だけで途切れるような集中が命かって、そうだよ、それで何が悪い。

その場で出せなかった感情が、こうして文章を書きながら溢れてくる。電車で泣きながらnoteを書くことにももう慣れた。慣れるくらいに、私は私を生きている。生きているってことを、どうしたら伝えられただろうか。空っぽな私の空っぽ具合を、どうやったら言葉で再現できただろうか。何も伝わっていないのは、選考委員さんがあの場で水を飲んだのは、喉が渇いていることを忘れさせるくらいの私を、私が再現できなかったからだ。

悔しいな、と思う。見たことのない女の子、つまり「今まで見てきた女の子と(比べて)違う女の子」だと面接で思われなかったことが悔しい。私は一人なのに。この世の誰とも違うのに。比べるなよ、侮るな、と思いながら、一番の原因である自分の無力さを嘆いている。悔しい。情けない。

壮絶な過去を語ることは壮絶な過去を持つ子に任せた、ダンスを上手に踊ることはダンスを上手に踊る子に任せた、可愛さでみんなを魅了することは可愛い子に任せた。じゃあ私になにができる?私にはなにがある?

私は自分のことをすごいと思っている。面白いと思っている。いや、信じている。信じたいから信じている。私は人を巻き込むことができる。ハッタリを現実に変えることができる。泣き喚いていつかあなたを振り向かせることが、絶対にできる。

足掻くしかないと思う。技術はないけど熱意がある、武器がなくても声がある、過去がないなら今を作ればいい、踏まれたら、起き上がるしかない。私はおそらく及第点でファイナリストになれたんだと思う。本当にそれは自分らしいなと笑ってしまう。及第点ならそれを極めたい。私は私のまま、賞がほしい。

いつかあの最終面接が楽しい思い出になる日が来ても、あの時の不甲斐なさを絶対に忘れたくない。あれがあったからここに来れたなと感謝できる日が来るように、そんな日に自分の足でたどり着けるように、私は這ってでも進もうと思う。

帰りにお菓子をたくさんもらったり、写真を撮るときに「顔を隠す技術のプロ」と褒めていただいたのはまた別の話。ミスiD2022最終面接、ありがとうございました。

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