ぼくたちの敗北賞

「見てほしいという気持ちだけで、何の武器も持たずにここまで来ました。」
私が最終面接で喋った言葉だ。私には何もない。

私には目に見える武器がない。文章が武器なのではと何度も言ってもらったことがあり、その言葉をかけてくれた人には少し申し訳ない気持ちがあるが、文章は武器ではない。文章のうまさで言えばあの子の方が何百倍も上だ。あの子の的確な比喩表現にはいつまでたっても敵わないし、あの子の絶妙なバランス加減はため息が出るほど美しい。もはやミスiDを応援する側の人だって私より素敵な文章を書く人はたくさんいる。たくさんいる。

わかりにくい、可愛いビジュアルもない、強い武器も持っていない私には、自分の身一つ戦ってきた自負がある。みんなを巻き込んでここまでこれたのはきっと、私が私だったからだ。世界に影響を与えるという自分の魔法を信じてこんなに遠くまで来た。

「ミスiDを見返す」
「ミスiDを叩き直す」
「ミスiDにもう頼らない」
「ミスiDをまだ信じたい」

冷静になってみればよくそんなことが言えるなということをたくさん叫んできた。いつだって身の程知らずのハッタリを掲げては、這いつくばって進んできた。何もないなら何もないなりに足掻くしかないと中身のない自分ばかりを講談社に向けて投げつけた。そのたびにミスiDは、本当にギリギリのところで私を掬い上げてくれた。

私は自分と戦いながら、ミスiDと戦っていたんだと思う。自分勝手に解釈したミスiDとの違いに「そうじゃないだろ」と喚きながら、私だって、私だってとずっとコンクリートを殴っていた気がする。どんなあなたでも物語なら、私だってあの子だって物語のはずだ。そんな考えと宇宙規模の自己顕示欲を背負って素手で戦ってきた。バカな戦い方だと思う。そしてバカほど強いものはないと思う。

ミスiD2019のページをスクロールしていたとき、ぼく(選考委員)たちの失敗賞という賞を見つけた。書類選考で見逃されてしまった方がもらった賞らしい。

私は「面白いね」「すごいね」と言ってほしくてここまできた。それだけの気持ちでミスiDにすがりついてきた。ここまですがりつけたのは、自分の中のミスiDを信じていたからだ。

私は私を2度落としたミスiDに勝ちたい。「あなたは物語だ。どんなあなたでも」というキャッチコピーをミスiDに叩きつけたい。わかりにくくても可愛くなくても目に見える武器がなくても自分が自分であれば物語なんだと、どうかわかってほしい。

ぼくたちの敗北賞がほしい。
とんでもないことを言っている自覚はあります。敗北してもらうには勝つしかないこともわかっています。そして今のままだとおそらく勝てないこともわかっています。やっぱりどこまでも身の程知らずで、ハッタリしか言えなくて、わがままばかり喚く私だけど、一人くらいこんな人がいてもいいでしょ、と今の私なら思える。

ハッタリを現実に変えるために、今は書くしかないと思う。過去と今と同じくらい未来を見てもらうため、小説を書こうと思う。noteの頻度は下がるかもしれないが、とにかくもう書くしかない。「書かなきゃダメだと思ってます」じゃない。「書くしかないと思ってます」だ。過去のnoteも読んでほしい。ひとつ残らず全部が私の言いたいことだから。

私はミスiDに勝ちたい。
私に「ぼくたちの敗北賞」をください。

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