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なんで突然アニメを作り始めたかって話(1)

2019年5月末に自主制作アニメーション第一作目となる「くちくなる 」完成。そこから一年間で計4本の自主制作アニメを発表した。これは、その制作の裏側を記したレポートである。

なーんて字面だけではすごそうだけど! これ、全っ然すごくない。アニメを見ていただければすぐにバレるので最初に言ってしまうが、私は完全なる素人だ。「芸術系の学生だったから授業でアニメーションづくりの基礎をかじってます〜」というわけでも「(いわゆる)テレビアニメが好きで真似して絵を描きつづけてました〜」というわけでもない。小中学生の頃はご多分に漏れず幽白とかレイアースとかエヴァとか(年がバレるね)当時のテレビアニメにハマってはいたけれど、自分で作ろうという発想はなかった。

私にとってアニメとは、ブラウン管テレビの画面の向こう側の“別次元の存在”だったのだ。

アニメ、ブラウン管から飛び出す

NHKには昔から、子供向けの教育番組を主として放送するチャンネルがある。テレビを持たなくなって十年以上経つので不確かだけれど、おそらく今で言うところのEテレだ。
中学生の私は3チャンネルを“教育テレビ”と呼んでいたと思う。放課後は来る日もくる日も大急ぎで帰ってはテレビに張り付く。もちろん、3チャンを見るために。当時の私が心を奪われていたもの、それは山村浩二さんの「パクシ」というクレイアニメだった。

粘土でできた正体不明の丸っこい生きものが、おなじく丸っこいお菓子をもくもく食べる。小さい弟がものすごい速さのハイハイで画面を斜めに突っ切る。なぞのおじさんバルタザールがステッキをくるりとやる! あの、三分くらいしかない謎めいたアニメが大好きだった。再放送を何度も見ながら私は思った。粘土をこねて動かしていけば、もしかしたら私でもアニメが作れるんじゃないか、と。

おそらくこの時、私とは“別次元の存在”だったはずのアニメはブラウン管から飛び出していたのだと思う。ただ、中学生の私にはどうしたらアニメが作れるのかさっぱりわからなかったし、インターネットもあまり身近でなかった時代だから調べる術もなかった。

そんなわけで、アニメを作ってみたいという願望は20年間、心の中にしまわれることになったのだった。

つづく!

※画像は、ヤマムラアニメーションのスタジオの地下にある短編アニメーション専門ストア&ギャラリー「Au Praxinoscope」にいる置物(パクシだと思っていたらどうやら別人?らしい)と、私の描いた似てないパクシ!

褒められて伸びる子です。 というか、伸びたい。