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ここにしかないものもいいけど、どこにでもあるものがここにもあることがうれしいよ(京都日記)

ぜんぶ、今ここにしかないとも言えるし
ぜんぶ、いつでもどこにでもあるとも言える
(ガチ真理 by @chann___aya)

はじめに

旅先では、せっかくだからここでしか味わえないことを、と思って行動してしまうことが多いのではないだろうか。
せっかくだからお抹茶を、おばんざいを、寺社を、桜を。
でも別によく考えたら、たいていの物事って東京でも楽しめるんですよ。
そして逆に言えば、全ての物事がその場所その瞬間でしか味わえないものなわけ。だってその時の自分はその時しかいないわけだから。
だから全部の体験が一度限り使い捨ての一生もので、だからこそ私はあえて京都でてりたまバーガーを買って鴨川沿いを歩くみたいなことが、すっごく乙なんじゃない!?と思った次第で、そういうタイトルです。
私が京都行きを決めたのは桜の時期だしというのももちろんそうなので、桜が良さそうな場所をいくつか狙い定めて訪問はしたけど、動く心は桜のためのみにあらず。

たとえばこの4日間で私が一番長く時間を費やした地点は鴨川で、ただぼーっと川の流れを見ることでかなり精神状態が整った

京都に並ぶ町屋や立派なお寺さんを眺めて素敵だなと思ったあとに、普段よく買ってるプロテインをコンビニで買って、ああどこにだって土着の営みがあってそれは私の暮らしとも地続きなんだよな、と当たり前の実感を持てたとき、旅は私の生活に組み込まれて暮らしの一コマになる。特別すぎない人生の景色になる。
観光客のお客さんとして持て成されるより、ほんの一歩でも、地域に根付いた文化の側から土地を見られれば。それは観光旅行とは性質を異にするはずなのである。
そんな形で、私はワーケーションを敢行した。

京都というのは、私が国内でもっとも好きな土地のひとつである。
私は歴史が好きで、と言っても知識オタクではないのでそんなに詳しいわけではないけど、故いもの(自然環境含む※)を見て悠然とした時間の流れに思いを馳せるのが好き。それには歴史的建造物のある古都はうってつけの場所なのである。
これは京都に限らないが、とりわけ東京近郊は大震災と空襲で焼け焦げて失われたものが多すぎるのであまり適したエリアではないのだ。(鎌倉は大好き)
※最近は本当に自然が好きで、それは単に緑や青の美しさに心打たれるからに留まらず、やはり人類史を遥かに超えた偉大さを感じるからだと思う。山も海も近所の神社の木々も、永くそこにいて矮小な人間たちを見守ってきたのである。近年、デカい樹フェチが止まらないよ

2024.4.8 mon (11,782 steps)

東日本も西日本も雨予報だった。
観光地、特に京都においては散歩を醍醐味と考えている私にとっては、そうなると勝負は雨の上がった日。ということで、ゆっくり東京駅に向かった。そもそも咲き誇る桜よりも、散りゆく桜が好きなのだ。この雨は好機ともとれた。
新幹線での移動中は仕事をしっかりこなし、昼過ぎに京都駅に着く。今回は古い建造物をいろいろ見ようと決めていたので、気になっていたhashigo cafe kyotoを訪ねた。なんかそもそもレトロな銭湯という空間に目がない。かわいすぎませんか?つくりものではない時間の累積を浴びられる幸せ。

リノベには可能性があるが、コンバージョンにはトキメキがある

嵐山エリアはたびたびの訪問でうろうろしているのでこの辺にしておき、行きたかったけど機を逃していた船岡温泉を目指す。天気が悪いのでちょうどいい。
着地した瞬間から思っていたけれども、京都は外国人観光客が芋の子を洗う騒ぎになっていて、船岡温泉といえども例外ではなかった。想像以上だった。まさか檜の露天風呂にいるのが私以外みんな西洋人になるとはね。
平日だったのもあると思うが、なかなかの光景。ヴィーナスのような豊満で色白(真っ黒な方もいました)の爆乳美女たちに囲まれて、池の鯉も不思議な気分だったのではないだろうか。私よりは慣れっこかもだが。

これは拾い画なんだけど、右側手前の石の橋に腰掛けて池側に足を投げて座っている貴婦人がいて、それは多分かなりあぶないと思った

外気浴スペースに改善の余地を感じつつもサウナを3回転して大満足。サウナはすごく空いていた。売りがサウナではないからだろう。水風呂の温度もやや高いので、じんわりまろやかな整い体験となった。

船岡温泉に来た理由はもう一つあって、私が再訪したいと願ってやまなかったさらさ西陣がすぐ近くにある。こちらも銭湯リノベカフェで、かなりお気に入りの場所である。

言葉では説明できない、なんだか長居できる空間 なのよね

雨が強くなってきて、私は仕事を切り上げてホテルに向かうことにした。サステナブルな旅とするために私は自炊を志し、キッチン洗濯機などの備品全部入りの部屋を押さえていたので、うきうきと近場のコンビニでプロテイン・蕎麦(ゆでるやつ)・出来合いの惣菜を買って帰った。

2024.4.9 tue (12,296 steps)

やや不安定な空のもと、朝のMTG前に食材を調達しに行く。暮らすんだから、と思ってスーパーで鶏むねとか砂肝とか買った。野菜も消費できるだけ。

鴨川近くのホテルにしたので、どこに行くにもまずは鴨川を散歩できたのがかなり功を奏した。前日の雨でやや濁流

昼過ぎまでのMTGを終え、自炊飯をランチとした私はその後中書島に向かった。十石舟が運航しているのを見てみようと思った。

見れました

なんか桜ってピンク色なのが相当かわいいですよね。ピンクってラブリー。散った桜で道が桜色に染まっているのが好きなんだなとわかった。内省的な一人旅は、自分のことを考えるのに大変調子がいい。

なんか別に映えないけど、個人的に舟より好きだった光景

宇治川に注ぐ濠川沿いには桜がたくさん植わっており、河岸に降りたり地上に登ったりしながらの散策はコンパクトに楽しめてよかった。
ちなみにこの日は夕方からが寒すぎて、ZARAで上着を買って帰った(もともと寒かったらなんか現地で買うからいいや〜と身軽に来たものの、さすがにもうマフラーみたいな防寒具はなくて心許ない薄い春アウターを足して震えながら帰った)。

2024.4.10 wed (21,512 steps)

京都の観光を制する者、それ即ち早起きができる者なり。
なんつっても人がいないということが一番美しいのだから、世界は。というわけで混む前に琵琶湖疏水まで足を伸ばすことにした。

花筏(写ルンです)
最高の生活感

7時頃から哲学の道をひたすらに南下して、大豊神社に至るまでの道で私はやや泣いていた(笑うところです)。
美しかったからである。こんな景色を、健康に見に来られる身体があって、美しいと思える心があって、幸せだと感じたからである。これ、人で溢れていたらここまでの感動にはなってないから早朝というのはかなり肝。

朝の光が琵琶湖疏水に反射してきらきら光っていた。
鳥が桜をついばんで落とし、花弁は満開を超えて散っている。
石畳に落ちる木漏れ日と桃色、風は凪いでいて、それでいて草木は静かにざわめく。
朝焼けを力強く反射して輝く若葉の、なんと瑞々しいことだろう。
ひとことで言えば至福。
天国に続く道がこんな景色だったらいいなと祈った。
人間にはつくれないもの———時間の流れや自然の動き、それと人間の叡智がかけ合わさったとき、それはかなりスピリチュアルな響きを持って人の心を打つのだと、ふわりと思った。

こんな道でなら天国を目指したい(写ルンです)
魂が誘われるような(写ルンです)
私を連れて行く光(写ルンです)

すでに相当spirited awayな気分になっていたところ、大豊神社へ分岐する道が現れた。流れるように立ち寄ったその神社は、私の中のマイベスト神社ランキングを更新した。

無人(最重要ポイント)であまりにも神々しい

境内に入ると、鬱蒼と茂った木々の中に祠はあり、籠るような守られているような感覚になる。参拝ルートは順に狛鼠、狛狐、狛巳、狛猿、狛鳶、それぞれ椿が飾り付けられていて、めちゃめちゃキュートな神社。造形が可愛いのもそうだが、すぐ茶色くなって朽ちてしまう椿の花弁を、きっと日々とりかえて飾りなおしているのだろう神主がお茶目でいいなと思ったのであった。

どんぐりまでお供えされてて、よかったね
おしゃれさんやね

朝のうちに蹴上まで行こうと思っていたのでそろそろ移動するかなと思っていたら、徐に猫が話しかけてきた。かなり話しかけてきたのでついていったら、足早に去って行った。こいつのためにかなり引き返して一度下った坂を登ったのだが。

去って行く茶トラの背中(写ルンです)

蹴上インクラインまで歩き、いつ見ても面白いねじりまんぽを堪能してからホテルに戻り、めっちゃ仕事した……。

夕刻、六角堂に立ち寄った。六角堂はお土産屋さんが充実していてすごい。大体いらんやろというものが多いだろう境内の土産屋なのに、あれもこれもかわいいんかいという感じであった。使おうと思えばもっとお金使えた。

その後は古民家カフェの好文舍を訪れた。再建築不可の土地に建つ奥まった町屋を、最低限の改修のみで使い続けるという。
客がいなくなってからオーナーがかなり前のめりに話しかけてくれていろいろ教えてもらった。

日本庭園を見ながらいただく薄茶と和菓子

夜ご飯は、今回どこかでは必ず挟もうと思っていたセアブラの神の煮干しそば。背脂のスッキリ感に驚きつつ、さすがに歩くか〜と思って烏丸通りをめちゃめちゃ歩いて帰った。

2024.4.11 thu (20,746 steps)

11時のチェックアウトを控えて最後の朝散歩、選ばれたのは女坂。女学校が多くあるらしく、ちょうど登校時間を垣間見ることができた。
本当はカスガ東林書房を見たかったのだが、いつの間にか改修されて外観が変わっていたらしい。絶対前の方がかわいかったのに……

before(拾い画)
after(許していない)

チェックアウトして荷物を清水五条駅に預けてから、トコトコ清水寺の参道へ向かった。
かなり手前にある大谷本廟が立派でチラ見したところ、参道の橋の上でお互いを撮りあっている着物外国カップルがいたから勇気を出してふたり撮ったげる!と言って善を行った。そしたらインスタのブーメランも撮ってほしい!と細かなディレクションを受けて何カットか撮らされて笑った。京都旅行を楽しんでくれたなら嬉しいよ(もちろんめっちゃ感謝された)。対国外になれば私ももはや現地人だから、現地人の気持ちで案内する側に回ったわ。頑張って声かけてよかった〜

清水寺、前回来た時に工事中だったから今度こそと思って来たけど、あまりにも外国の方が多かったので今回はみんなに譲ることにした。最初で最後の京都になる人が多いだろうから。私ってば死ぬまでにあと何遍チャンスがあってもおかしくないので。というわけで参拝せずにうろちょろして下山した。

かなり人間の少ない瞬間を切り取れたところ(写ルンです)

八ツ橋シューなるものを抹茶と併せてエンジョイ、空腹を繋ぎながら、またしても古民家カフェを目指して移動。食と森にたどり着いた。
正直ごはんはそんな、あれやったのですが、空間が良かったです。なんかさ、やっぱり壊して新しくするんじゃなくて、ただそこに残っているものって愛おしいよ。残そうという意志まで含めて。

差し色の青がかなり効いててスタイリストおるんか?のチャリ

ちょこちょこ仕事をしながら、最後に鴨川ウォークをして新幹線を目指す。
自然物が好きな中で鳩のことはかなり嫌いなほうだったのだが、鴨川で寛いでる鳩をよく見たらなんかプリッとしてツヤがあって、小汚くなかった。京都だからか?とも思ったけど、よく見たら存外綺麗な鳥なのかもしれないね。ロータリーで轢かれてたりしなければ鬱陶しくないのかも。
鴨川には常に何羽もサギがいて、君たちはどう生きるかを思い出させた。サギの飛び立ち方と着地の仕方、駿の描いたまんまだった。
桜は終わりかけでもずっと旬だった。

おわりに

つまり私が言いたいのは、何事においても意味は自分でつける、見つけるものってことだ。
私の気に入っている比喩に「流れ星それ自体に意味はあるか?」というものがあるが、要はそういうことで、流れ星は宇宙のゴミなので本来的には意味などない。その希少性を有難がり、価値をつけたのは己である。全て己の目を通して感じる生があるのみなのだ。逆に言えば、己というフィルターを通してしか世界を見ることはできない(そうであるからして、己を研磨することしか人生をより良く感じる術がないのは自明だろう)。

人生とはその全てにおいて、自分で解釈を得ていく道に他ならない。上記私の日記は私の解釈であり、全く同じ景色を見ても感じることは100人いれば100人違うだろう。
だから、自分で見て考えろ。無限で無秩序にある情報の肌に触れ、そしてその時何を思うのか?何を憂い何を悦ぶのか?何が自分にとって価値で、何が世界にとって意味なのか?
そこが京都でも東京でも、同じことなのだ。

追伸(本旅のプレイリストを公開)

さらさら/スピッツ
みなと/スピッツ
ババロア/スピッツ
ヒビスクス/スピッツ
美しい鰭/スピッツ
エンドロールには早すぎる/スピッツ
正夢/スピッツ
メモリーズ/スピッツ
恋のうた/スピッツ
甘ったれクリーチャー/スピッツ

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