皆勤賞を称えるのをやめた方がいい

人体はブラックボックスだとつくづく思う。
体には自律的に動く臓器だけでなく精神が宿る。極めて不思議なことである。

私は今年花粉症デビューを果たした。まだデビューから1週間経っていない。
耳鼻咽喉に花粉の存在を感じてちくちく痒い。不愉快だ。
とはいえ、社会人になってからのアレルギー検査でスギ・ヒノキにアレルギーがあることはわかっていたのでそんなにショックではない(症状がまだそんなに重くないということもある)。
だって社会人になって顕在化した私のハウスダスト・ダニのアレルギー反応による体調不良は、もっと壮絶なものだった。花粉症で目が痒かろうが鼻水が止まらなかろうが起き上がって人間的活動ができるなら全然いいだろう。仕事を休まなくていいのだから。もちろん花粉症の人を貶める意図はないが。
私は縋る思いで鼻の粘膜を焼く手術もしたが、対して奏功せずだった。
(辛い辛い花粉死ねと被害者ヅラをしながら、舌下免疫療法に手を出すわけでもなくボトックスを試すわけでもなく、注射をしてみるわけでもなく手術を行うわけでもなく、あまつさえ薬も定期的に飲んでいないような人を見ると、正直一生そのまま苦しんでいろと思う)

私が苦しんだアレルギー症状は、診断でそれと分かれば対処法はあったので幾分か生きやすくなった。
高校生くらいから体調が安定しなくなったことに自覚的だった私は、大人になってちゃんと検査をするようにしたのだ。不本意にもどのコミュニティでも体調悪いキャラが根付いた。
金属アレルギーも調べた。遺伝子検査キットも試した。健康診断ではオプションで自腹で腸内検査もしてみたりした。妹に持病があったり弟が小児がんだったりした経緯もあって、私にも何があってもおかしくないと思っていた。でも今のところ私には何の問題もなさそうだ。

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「健康そのものといった感じですね」
去年の夏、私は数ヶ月長引く体調不良に悩まされ這って行った病院でやや精密に検査をされた後、医者にそんなことを言われた。
いろんな数値が載った表が渡されて、正常値の範囲内である説明を全項目で受ける。
「数値的には悪いところは何もなく全て正常値です。原因不明だから不安、ではなく、逆にどこも悪くないんだと安心されたらいいんじゃないですか」
そんなこと言われても納得はいかなかったが健康というならしょうがない。でもなんで健康そのもの異常なしな人が、1ヶ月まるまる布団から起き上がるのがしんどくて仕事を1週間休まなくてはいけなくなったり、一つ会議が終わるごとに何時間も寝ないと動けなかったりするのか、わからなかった。1ヶ月の間碌に家から出られなかったのに、誰とも会えなかったのに、仕事もできなかったのに、これが健康なものか。病名がつくのは怖いが、病名がつかないのも怖いものだ。精神的にかなり参ってしまい、ほぼ初めて明確に希死念慮を感じたことを覚えている(何もかも嫌になって、事故に遭って入院したいとまでは過去に考えたことがあった)。

快方に向かいつつあり、仕事も休まなくてよくなってきたタイミングで(在宅だから寝ながら騙し騙しこなしていた)2ヶ月ぶりくらいに外部取材で外での仕事をして、それがいいお天気の日で、私は一人で雰囲気のいい古民家カフェみたいなところに寄ったのだが、美味しいご飯を食べて一人で涙してしまった。体力はすっかり衰えていたけど、自分の足で移動ができて行きたい場所に行けて、心動くものに触れられて写真が撮れて、普段こないような場所で美味しいものを食べることができて。当たり前の幸せが一番尊いみたいなことをよく言うけど、それは一度喪った人にしか想像できないんじゃないだろうか。
秋ごろようやく人と遊びに行けるようになってから「大殺界だったんじゃない?来年明けるとか」と友人に言われて調べたら、全然これからの年だった(弱りきっていたのが2023年、私の大殺界は2024年からの3年間)。
今でも原因はわからない。ただその後いい医者に巡り会えて、次不調になったらこんな治療を試してみましょうと提案されている。それからまだクリティカルな不調は出ていないので今後に期待である。

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私は自分が特別大変な思いをした、しているとは思っていない。そもそも当たり前を当たり前にこなしている人の方が少ないと大人になってからは思える。みんながみんな何かを背負って生きている。
(だからこそたまにいるフィジカルギフテッドが根性論とか精神論で体調不良を軽く見ていることを心底軽蔑している。想像力のない人間は私に近寄るな)

誰もが皆どこか、欠けて苦しんでいる。
映画『夜明けのすべて』ではパニック障害・PMS・自死で親族を亡くした人などが描かれていたけど、あれは取沙汰されるべき特殊事例ではなく、全員がそうなんだと言っていた(と私は受け取った)。肉体的にだってそうである、手がない人も足が動かない人もいる。頭や心の場合に表象が複雑化しているだけだ。アルファベット系ももちろんのこと、診断は出ずとも欠けて苦しんでいる人間のなんと多いことか。世の中を見渡すと境界知能だらけである(私が今まで接してきた社会層では見なかっただけで、世界の大半はそうなのだ)。
世界が完璧でない以上(誤解を恐れずにいえば、創造主が世界を完璧につくらなかった以上)、完璧な形を保っている人間はいない。多様性が謳われて始めてしばらく経つが多様性とは元々ずっとそこにあったもので、認められないといけないようなものではない。人のつくりは画一化されておらず、全ての人間は異なる構造をしている。デコとボコとが補い合い、社会は命は何とか続いている。

だから、皆勤賞が称えられる世界であることが間違っているのである。
毎日学校に行けることは偉くないだろ。たまたまずっと肉体的に元気で、精神的に無邪気に無知で悩まずにいられただけだろ。(私も中学校までは別にほぼ休んでなかったけど)

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そして世界は完璧につくられていないので、私は自死する人の気持ちがわかる。
無邪気に無知の愛すべきアホには想像もつかないような事象の奥深くを見て感じる力、仮にそれを感受性とすると、それは強ければ強いほど世界の歪さと共鳴してしまうんだと思う。
私は自分の人生が楽しすぎるためまだ死こそ選ばないが、この世の中世界に対しての諦念だけはずっとある。そういうことを言うのはスレててダサいかなと思っていたけど、尊敬するリリー・フランキーが同じようなことを言っていたので、言ってもいいこととする。

最後にその師のお言葉を添えておく。

鬱は大人の嗜みですよ。それぐらいの感受性を持ってる人じゃないと、俺は友達になりたくないから。こんな腐った世の中では少々気が滅入らないと。社会はおかしい、政治は腐ってる、人間の信頼関係は崩壊してる、不安になる。正常でいる方が難しいですよ。

『サブカル・スーパースター鬱伝』より

ちなみに私は鬱の者がもちろん好きだし、だからと言ってこの世界の膿をものともしないようなおおらかで適当な陽の者のことも好きなので、どちらとも友達にはなりたい。


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