朝陽を撮り続ける理由。

2021年 1月3日。

飛行機雲が空一面に流れる朝陽と共に。

何年前かな。
誕生日に一眼レフを貰った。

わたしは機械音痴で、相性もそんなに良くない。

機械を相手にすると、どうしたものかよく壊れてしまう。(なぜ?)

一眼レフもそう。
使い方が乱暴?なのか、すでにたまにバグる。
(なぜ??)

だけど、一眼レフが手元に来てから毎朝。
調子が良い時は必ず
朝陽を撮るのが日課になった。

「バグる一眼レフが
わたしに素敵な朝陽を見せてくれる。」

朝陽は一日のはじまり。

太陽の光は、生命力を感じ
そして不思議なもので
朝陽は、肉眼でも見られるのだ。

目に見えるものに価値があった時代から
目に見えないものに価値がある時代に変わりつつあるけれど

そんなことなど、太陽には関係ない。

地球に生命が誕生する前から
太陽はこの地に光を注いでいるのだ。

いつの時代もこれからも。

わたしが撮る朝陽は、そんな一部に過ぎない。
今日も変わらずに朝陽を撮る。
きっと明日も明後日も。


変化は人間の付加価値に過ぎない。

変わらない朝陽が
人の気持ちで変わる朝陽になる。


「バグる一眼レフが
わたしに素敵な朝陽を見せてくれる。」

それは自分を映す鏡である。


どんな朝陽も
それを受け止める自分でいるために
わたしは朝陽を撮り続ける。













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