性や恋愛について

※下記の記事を書いた後に、思い直して、このマガジンの一部の記事は有料となりました。 

今まで書いてきた性や恋愛の記事を有料にしようかと思ったが、思い直した。私のnoteの記事は、気ままに自分が書きたいと思ったことを書いているだけであり、時には今はこれを書いたほうが良いという直感に従って書いている事もあるが、基本的に有料にする事を意識していない。ただ、性の記事については子供が偶然読んでしまう内容としてはまだ早いと思ったので、形式的に少しハードルを設けて有料にしようと思った。また恋愛にも個人的な体験が色濃く含まれているので、読みたいと思った人にだけ読んでもらうために有料にしようかと考えた。しかし、性に関する記事には性のテクニックの話は含んでおらず、露骨な表現もないため大丈夫だろうと思った。恋愛についても、こういう恋愛体験をしている人もいるのか・・と少しは参考になると思ったので無料公開にした。
 それに最近の子供は文字だらけの文章など読まないだろう。特に私のような画像も絵文字もなく漢字だらけの長い文章などは。また、性の記事を目にしたとしても、子供も性の考え方については早いうちに知っておいても良いと思う。親が質問されても困る露骨な性表現については知らなくても良いが、身体の仕組みだけでなく心と体の関係を中心とした温かい男女のあり方は知っておいたほうが良いし、それを模索する個人の文章は古今東西のテーマでもあるから常に発信され続けられているので、目にする機会が多いのは仕方ない。
 さて、自分の性と恋愛の記事についてどうするか右往左往している間に再び男女の関係について考えてしまった。現在は結婚すると夫婦という形が一般的で私も例外ではない。しかし、世の中には形式に当てはまらない男女の関係を築いている人達もいると思う。同姓同士であったり、結婚相手以外にも夫婦公認のパートナーが別にいたり。私はそれも良いと思う。お互いに愛し合っており周囲も幸せなのであれば、人にとやかく言われる時代でもないだろう。大事なのはお互いの心だ。それに、世の中の一般的な形に当てはまらない男女や家族の関係を築いている人達でも、関係する人達が幸せであり周囲と協調している場合は、特に周りから目立つ事もなく自然と周囲に溶け込んでいるので、クローズアップされることもないのであろう。
 そして恋愛関係で思い出したこともある。私が中学と大学時代に文通していた女友達について思いだした。詳細は省くが、私が他県へ引っ越した後の中学生の時に、元の小学校でクラスメートだった女子から私に手紙が届いて文通が始まったのだが、大学時代は逆に私から彼女へ手紙を出したのだ。彼女から一方的に手紙を受け取っていた時は受動的に、私から彼女へ出した時は能動的なやり取りだった。つまり、中学の時は彼女から届く手紙に返信を出すというスタイル、大学の時は私からどうしているか知りたくなって積極的に手紙を出していた。ちなみに何度か二人で再開した後に当時の友人達も含めて少人数で遊びに行った。ほんの数回だけだったが。その子とは付き合いはしなかったので彼女ではなく友達だ・・・。あいつ、今頃どうしているのかなぁと思ってしまった。結婚したとは聞いているが。そして手紙って良いなぁと思う。私の大学時代はまだポケベルの時代であった。そして私はポケベルは持っていなかった。つまり通信機器などは所持していなかったのだ。パソコンは所持していた。あの頃はwindows95。大学を卒業した頃にパソコンのチャットルームに参加するのが流行っていたっけ。懐かしい。
 さて、手紙はスマホのような通信機器と、思考だけで交信するテレパシーの間に存在する媒体だと思う。手紙は紙の上に書く際に、相手の様子を思い浮かべたり自分の近況に対する相手の反応を想像したり、相手の文章から感情を受け取ったり、とても楽しい。私のような年代の人でも今なお親しい友人には手紙を出している人達もいることだろう。私は現在は手紙を出している相手はいない。
 そして最後に考えてしまうのは、やはり男女の関係。自分が本来の自分でいられる。そのように自分が存在できている時、自然と自分と女性との関係も理想の形になるのであろうか。今がそういう状態では無いと言っているのではないが、自分が本来の自分として生きているのかは分からない。それを今も探している状態だ。私は恋愛や男女の関係については疎い。だからきっと来世でも人間として生まれて男女の関係を体験することだろう。もしかしたら今と同じ時代かもしれない。もう一つの現在、パラレルワールドっていうやつかな。今日はこのへんで終わりにしよう。

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