東京オリンピック(Tokyo Olympics) パート2

東京オリンピックの開催、やめた方が良いのではと感じるついこの頃。前回のオリンピックの記事では、開催するなら応援すると書いたのだが、感染状況が日々ひどくなる中、果たして実際に開催されてから応援する気分になれるのだろうか。
↓ 前回の記事はこちら ↓

病院の医療現場の逼迫、変異株の蔓延。もはやコロナウイルス対策で社会が矛盾に満ちていて、会社内ではお互いに距離をとったり、三密にならないように注意が厳しくなっているが、仕事が終わって会社の敷地外に出てしまえば人通りの多い駅や満員電車が待っている。会社は自社内でクラスターを発生させて経済活動を止めたくない訳だし、そもそも会社外のことについてまでは管理も出来ないし口出しもできないから仕方がない。それに以前は満員電車に乗って周囲の人に押し潰されそうになっている時でも、緊急事態宣言なんて意味ないなーって心の中で笑えていた。それでもマスクをしていれば何とかなっていたからだ。でも最近報道されている感染した人の話では、変異株ではマスクをしていても感染するし、密な場所を避けていてもどこで感染したのか不明らしいので、満員電車も笑えなくなってきた。このまま公共交通機関で通勤を続けていて良いのだろうかと不安に思い始めてきた。とは言っても現在の仕事はリモートワークが出来る仕事ではないし、リモートワークが出来ている会社もまだまだ多くはないだろう。そして学校などでも感染が発生している。20代~30代でも基礎疾患がなくても数日で重傷化する恐れがあるので、自分も罹患したらどうなることやらと不安がよぎる。
ここまで感染力が強くなると、朝の通勤はまだ良いとしても帰りの満員電車で会話や咳をしている人のいる車両では不安になってくる。余談だが、最近は電車の中ではアンドロイドっぽい女性の声で、国土交通省からの新型コロナウイルス感染症に対するお願いのアナウンスが毎回流れる。あの無機質な声を聴いていると心が殺伐として、ついにアンドロイドが支配する社会が到来したか!と嫌な気分になる。自分自身もアンドロイドになってしまったのではないかと錯覚する。できればあの音声は電車の走行音で掻き消えて欲しい。しゃべり方というのは伝染するので、テレビで民放のニュースを観ている時に、一部の最近の若い女性アナウンサーの原稿の読み方が電車のアンドロイドのしゃべり方と似ていると感じるようになってきた。そう感じるのは自分だけだろうか。
さらには飲食店や各種イベント会場、娯楽施設、大型店が苦しんでいる中でオリンピックの観戦をテレビで楽しむ心境になれるだろうか。これは自分自身についてなのだが、精神的に楽しむ余裕がなくなってきた。選手が活躍する競技は観たいのだが、以前と同じようには観れないだろう。国内はともかく、海外から来日する選手団はコロナによる隔離生活によってフラストレーションが大きいようだし、外国人選手を受け入れる選手村の辞退も相次いでいる。オリンピックが開催されれば、きっと日本人選手は活躍すると思うので、それ自体は楽しみなのだが、いったいどのような気持ちで観戦すれば良いのだろうか。感染爆発が起きている中でのオリンピック開催を純粋に楽しめるのだろうか。予測がつかない。

それでも開催する場合は、自分では以下の案が浮かんだ。

● 昨年の同時期と同じように、1ヶ月ないしは2ヶ月の間、国民に1人あたり10万円を毎月給付して、とにかくステイホームをしてもらう。もしくはステイホテル、ステイ旅館。緊急の病院への通院や食料品や日用品の買い物、支払期限のある会社の事務処理等は仕方ないが、それ以外の経済活動は全て止めてロックダウンに近い措置を国民にお願いする。もちろん、会社や学校への通勤、通学も基本的にはストップする。

もはやここまでしないと感染者数をオリンピック開催までの短期間で激減させることは無理なのではないだろうか。そして、そこまでしてオリンピックを開催したいと思うかどうかだろう。いや、オリンピック云々よりもここまでしないと感染を止められないのではなないだろうか。休暇以外で人が外に出て人流が発生する大きな理由は結局は生活するための金の問題なのだ。あとは、ステイホームが終わった後もワクチンが国民に提供されるまでの間はワクチンを打てる日まで皆でがんばろうという気持ちを繋げていけるかどうか。ちなみに現金給付については、今後のベーシックインカムの導入につながる素地になるかもしれない。

↓ ベーシックインカムの過去記事はこちら ↓

昨年のコロナ発生以降、海外のように突貫工事で空き地に臨時のコロナ専用病棟を建設することは出来なかった。空き地が無かったことや雇用する看護師や医師がいなかったのが原因かもしれない。しかし、そのような対策があればまだ少しは患者の受け入れも現状よりはましだったかもしれないが、事情があって実現出来なかったのだから今さら何を言っても仕方がない。
少しでも苦しんでいる人が少なくなるように、そして感染する人が少なくなるように、今後も感染対策を続けていくしかないだろう。亡くなる際に家族と会えないのはとても寂しいものだ。今までの病気とは違って、死に際に誰の顔も見れないと言うのは悲しいものだ。
これは自分がコロナに罹患して重症化した場合の希望なのだが、罹患して命が助からない運命なのであれば即、苦しまずに死亡したいな。あの呼吸器をつけたくない。自分は閉所恐怖症気味なのでMRI検査とかで機械の中に入るのも恐怖なのだよね。10分だけでも気が狂いそうになる。手足を動かしたり体を動かせない状態に置かれると、いざという時に脱出できないという恐怖感に襲われてパニックになりそうになる。いや、心の中は既にパニックになっている。あの呼吸器も顔の半分くらいが覆われるし、そもそも管が常に呼吸器官に入っていること自体に耐えられるかどうか。痰をつまらせた時の苦しさとか想像したくないな。命が助かっても罹患後の副作用もあるみたいだし。やはりコロナには罹患しないに限ると思う。冗談のような真剣な話だが、今のうちから暇な時に遺書でも書いておこうかな。

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