決戦! 長篠の戦い その16

前回からの続き(一部漢字簡略化)

『真田昌幸が顕証寺法栄を伴って長島を抜け出し、海路江尻湊におもむき、古府中へ行ったという情報が入ると、信長は快心の笑みを浮かべて言った。
 「昌幸が去ったか、これで長島の運命は決まったようなものだ。これからは遠慮なく攻め立てよ」

 長島本願寺派は亡んだ。だが、一人残らず殺されたのではなかった。何人かは信長の魔手から逃れて、長島でなにが起こったかを人々に告げた。
 信長が長島本願寺派に対して取った行動は常識では考えられないことであった。ただ殺すだけに眼目を置いての作戦は、たとえ成功したからと言って世人の許容するものではなかった。長島は壊滅した。餓死者が何万あって、殺されたものが何万あったかを数え上げることができないほどだった。おそらく五万人は死んだものと推定される。

 古府中にあった昌幸と法栄はこの間なにごともせず時間を過ごしていたのではなかった。昌幸は勝頼に会って長島の実情を述べ、武田水軍の伊勢湾派遣を強く要請した。
 「武田水軍が伊勢湾に現れただけで、織田水軍は姿を隠してしまいました。武田水軍に正式な出撃の命が出て、伊勢湾深く北上すれば織田水軍は止むを得ず、反撃に出るものと思われます。海戦となれば、わが方は絶対に有利です。織田水軍が負ければ、制海権は武田水軍のものとなり長島は救われます。そしてこの機に、わが水軍の基地を長島付近に設ければ、織田信長の咽喉(のど)に短刀を擬(ぎ)したと同じような効果になるでしょう。こうなれば、信長が苦境に陥ることは間違いないことでございます」
 昌幸が熱っぽく説くと、勝頼も、つい昌幸の説に引き込まれて肩を張り、時には声を出すほどの熱心さで聞いた。
 「長島における陸上の戦力は重要です。ここに水軍基地を設ければ、陸上から攻撃を受けずに済みます。長島衆に取っても、武田水軍が滞在するかぎり、海上封鎖をされることがないから安心です。このようにして置いて、いよいよ第二の目的のために帆を上げるのです」
 と昌幸は言った。
 「で、第二の目的とは」
  勝頼は話の先を急いだ。
 「かねがね堺衆は織田信長のやり方に対して、けっして快く思っておりません。今のところは信長の武力の前に手も足も出ないでいますが、彼等がいつまでも黙っているということはございません。機会があれば、何時でも信長と敵対するつもりでいます。その機会というのは、わが武田水軍が堺港に進出した時のことです。武田水軍が大坂湾の海上権を掌握したとき堺衆は武田につきます。そうなれば信長は金づるを失うことになり、坂を転がり落ちるような勢いで破滅に向かって直進するでしょう」
 ううむと勝頼は唸った。話を聞くだけで興奮していた自分に気づいた勝頼は、大きく深く息をついてから言った。
 「その話を穴山殿に聞かせてやって欲しいものだのう」
 「穴山様には既に話しました」
 「それで・・・・」
 勝頼はさすがに驚いた。公式の場で昌幸の話を聞こうと誘ったときは仮病を使って置いて、非公式に昌幸と会って、その話を聞いているとは油断のならない男だと思った。
 「話としては面白いが、実現性はとぼしいと言われました」
 「穴山殿に話したならば、信廉様にも話したであろう」
 「信廉様からはお召しがあって伺いました。話としては面白いが実現性はないと言っておられました。信廉様は、先代様の御遺言を楯に武田水軍を愛蔵することにのみ心をくだいておられます」
 「愛蔵とはなにか」
 「愛蔵がふさわしくなければ、死蔵です。信廉様は武田水軍が生き物だということを忘れておられるのです。いかなる名刀でも飾って置くだけでは意味がないのと同様に、武田水軍を先代様の遺した宝物のような気持ちで温存しようというお考えには納得できません」
 昌幸は御親類衆の長老信廉を勝頼の前で批判した。こんなことをうっかり言えば切腹ものであった。それが言えるのは、昌幸は信玄公存命中に余の眼であるという言葉を賜ったほど群を抜いて優秀な使い番衆(参謀将校)であり、今更無視できない位置にあったからである。信廉、信君ばかりではなく多くの部将は若くて頭の切れる昌幸には一目置いていた。このような有能な士を自分の配下に置きたいと思っていた。穴山信君や信廉が昌幸と会ったのも、先々のために彼の意見も一応は聞いて置こうと思ったからであった。
 「山県昌景様にも馬場信春様にも会って、この話をいたしました。御二人とも、感心して聞いておられましたが、いざ武田水軍を長島へ出撃させる話になると黙りこんでしまうのです」
  昌幸はそこまで話したところであたりを見回した。そこには勝頼の側近が二、三人いるだけだった。
 「お願いがございます。昌幸、一生一代のお願いがございます」
 「なんだ。言ってみるがいい」
 と勝頼は言ってから、おそらくその願いには応えられないだろうと思った。
 「武田水軍に出撃の命令を出していただきたいのです。誰がなんと言おうと、お館様が武田の統領であることはすべての人が認めています。このような重大事には、御親類衆や家臣団の意見に左右されることなく、お館様御自身の気持ちを率直に出されたほうがよろしいかと存じます。武田水軍出撃を断行すれば武田の将来は約束されます。そうしないと長島が亡び、やがてはそれが武田の運命に響いて参ります。御決心の時です。武田水軍出撃の御下命をお願い申し上げます」
 だが勝頼は黙っていた。勝頼の頭の中には複雑な武田の内部構成図が掲げられていた。信玄が死んで間もない今、独断で武田水軍出撃を下命したらどうなるかの解答はきわめて明瞭であった。
 (勝頼公乱心)
 ということにされて、おし込められ、嫡子信勝を名義上のお館様として、穴山信君が権力をふるう時代が来るであろう。それは間違いないことのように思われた。
 「できぬ、それはできぬ。そうしたいが、余はその力を与えられてはいないのだ」
 勝頼の言葉は泣いているかのごとく細々と聞こえた。
 昌幸としてもそれ以上どうすることもできなかった。

 長島から昌幸が連れて来た法栄は賓客(ひんかく)として、山県昌景がしばらく預かることになった。長島の情勢がどうあろうと、法栄は信玄公の五女於菊(おきく)の方と許婚(いいなずけ)の仲にあった。粗略な扱いはできなかった。
 法栄は顕証寺法真の代理として古府中におもむくに先だって剃髪した。可愛らしい少年僧となっての正式使者である。
 法栄は古府中に到着すると、まず第一に勝頼に会いたいと言った。いくら正式使者だからと言って、たった十歳の少年に勝頼が会うわけにも行かなかったので側近の秋山紀伊守光次が勝頼の命を受けて法栄に会った。
 「私は勝頼様に会うために、わざわざ長島からやって来たのです。代理の方ではなく、直接勝頼様にお会いしたい」
 と言った。十歳の少年とも思えぬ、きりっとした口のきき方だった。光次は法栄の気持ちを汲んで勝頼との面会を取り持ってやった。法栄は勝頼の顔を真っ直ぐ見て言った。
 「われら長島本願寺派はあれ以来一度たりとも武田殿のお誘いに首を横に振ったことはございません。三方ヶ原の合戦のときも、この度の高天神城攻略合戦のときも、織田軍を牽制して、武田軍勝利のきっかけを作りました。今度はわれらがそのお返しを受けねばならぬ時です。明日と言わず、今日にでも、武田水軍に伊勢湾出撃の命令を出されるようお願いいたします」
 筋の通った言い分に勝頼は返す言葉がなかった。
 「よく分かった。できるだけ早急にそこもとが望むように、取り計らいたい」
 と勝頼は答えたが、法栄の澄んだ大きな目でじっと見詰められると冷汗が出る思いだった。

 法栄が勝頼の次に面会を求めたのは許婚の於菊姫だった。
 その日於菊の方は将来の夫となる男と初めて会うというので朝から化粧やら着物の着付けやらで大騒ぎをした。
 法栄は清楚ななりをしていた。剃ったばかりの青い頭が痛々しかった。僧衣は着ず、肩衣(かたぎぬ)に袴(こ)をつけていた。肩衣の張ったあたりが、少年にしてはかしこまり過ぎて見えた。
 法栄は美少年だった。色白で面長で眼は大きくて澄んでいた。鼻すじが通っていて、男にしてはやや小さなきりっとしまった口をしていた。
 と女たちが囁き合ったほど法栄は立派な少年に見えた。
 「於菊どの、頼みがあるから聞いて貰えぬか」
 法栄の最初に口にした言葉だった。
 頼みといきなり言われたので於菊は驚いて顔を上げた。彼女は一つ年上だが、着飾ると二つも三つも上に見えた。
 「於菊殿の兄君の勝頼様にお口添えが願いたい」
 そう前置きしてから法栄は、長島本願寺派がいかに苦境に陥っているかを説明した。そして長島を救うには武田水軍の出撃を仰ぐ以外に方法はないことを説明した。
 於菊には戦(いくさ)のことは分からなかったが、長島が織田勢に攻められて困っていることだけはよく分かった。
 「於菊殿、あなたと私は将来夫婦となるように約束した仲である。だが、長島が織田勢に亡ぼされたら、私はあなたを迎えることができなくなる。於菊殿、私はあなたを長島へ迎えたい。どうしても迎えたいのです。そのためには・・・・・」
 法栄は自分の言葉にはげまされたように、次第に膝を進めて行って、ついに於菊の手を取って、
 「於菊殿、お願いします。今となればあなた以外におすがり申す人はおりません」
 法栄の目に涙が光った。
 「法栄殿・・・・」
 と於菊に付添っている中﨟が言葉をかけたので、法栄は、われにかえって、もとの座に戻ったが、それからは一言も発せずにうなだれたままでいた。於菊は、法栄の悲しみが実感としては応えて来なかったが、法栄という美少年が自分に対して、全身で願いごとをしているというぎりぎりの心情は通じた。彼女もまたもの悲しい気持ちになった。
 そこには多くの女性がいた。法栄と於菊の面会を奥で行ったのは、ひとつには、この幼い許婚者同士が初めて会って、どんなことを話し、どんな恥じらいを浮かべるか、そんなことを見たかったからであった。その期待は見事にはずれた。女たちは泣いた。声を上げて泣く者もいた。法栄に同情したのである。
 この話はやがて女の口から女の口へと伝わった。法栄をあのまま帰すのは気の毒だ、なんとかならないものかという女達のことばが上層部の人たちを揺さぶった。
 法栄は穴山信君に会いたいと言った。それを聞いた信君は、江尻の城の改築工事見分の理由にかこつけて、古府中を去った。
 信廉は法栄に面会を求められたが仮病を理由に会わなかった。法栄に会えばおそらく自分の心は変わるだろうと思った。ここまで来て、いまさら、前言をひるがえしたくなかった。
 昌幸の努力も法栄の苦心も無駄に終わった。だが、諸将の多くは武田水軍に関係なく、武田は再び三河に兵を進めるべきだと主張した。長島を見殺しにすべきではないという常識論がたかまった。
 八月末になって、武田勝頼は一万五千の兵を率いて三河へ向かった。
 だがこの時は既に長島本願寺派は亡んでいた。
 法栄は父顕聖寺法真及びその一族の死を聞くと声を上げて泣いた。
 「もはや、この世に神も仏もない。人もないし、信義もない」
 と言って、その日から食を断った。とても十歳の少年とは思えぬようなふるまいだった。かわるがわる人が行って、食を摂るようにすすめたが、一途に武田を恨んでいるこの少年の心を温めることはできなかった。於菊姫からのお見舞いだと言って、菓子や果物を贈っても食べようとしなかった。法栄は骨と皮のように痩せ衰えて死んだ。
 武田水軍はこの絶好の機会に終(つい)に動かず、武田の宝としてそのまま武田の亡びるまで温存され、そして、徳川家康の手にそっくりと移され、徳川が天下を取るための推進力となった。』

その17へ続く
 

 

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