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シリーズ 「街道をゆく」をゆく 001

第1回 「湖西のみち」

その1    司馬さんのこと

日本の代表的な歴史小説作家とえいば、司馬遼太郎さんの名前を上げる人が少なくないだろう。NHKの大河ドラマの原作になっただけでも「竜馬がゆく」「国盗り物語」「花神」「翔ぶが如く」「最後の将軍 徳川慶喜」「功名が辻」と6つもの作品があり、「坂の上の雲」のように経営者に愛読されるような名著もある。多くの人が司馬遼太郎さんの作品を読んで歴史が好きになり、その沼にはまっていった。

司馬遼太郎さんが作品を書く前には神保町の古書店街のその人物や時代背景に関する本が無くなったという伝承がある。また、実際に小説の舞台になった場所に立って取材をするなどのことも他の作家に比べて多くの時間を割いた方だったようだ。実際、司馬さんの小説を読むと、それは単なる小説というより、その時代そのものや背景も含めて立体的に描き出すために、かなり歴史的な知識が記述されている。完全に気楽に読める娯楽小説もないわけではないが、多くの小説において、少なからずその知識を「学ぶ」ことを伴う読書となる。そうした司馬さんの作品は、物語の面白さだけでなく、知的好奇心が刺激されるという楽しみも味わえるのである。

私、求馬(もとめ)が歴史を好きになったのは、いくつかの契機がある。その中の一つが中学生になったばかりの年に大河ドラマで「国盗り物語」を観たことだった。もともと小学校時代から歴史が好きで、小学校4年生のとき、親と行った初めて京都旅行でも、金閣寺、銀閣寺、清水寺、龍安寺などの定番の寺社とともに、当時はあまりガイドブックなどにも載っておらず、観光コースには入っていなかった「等持院」に行きたがったという子供だった※1。「等持院」というのは、立命館大学のキャンパスの近くにある禅寺で足利尊氏の法名「等持院殿」から院号をとられた足利家の菩提寺なのだが、私がその寺にある足利歴代将軍の坐像を見てみたいという理由なのだから、マニアックな子供だったのは間違いない。

そんな子供でも、まだ司馬遼太郎の小説は読んだことはなかった。
ところが大河ドラマの「国盗り物語」である。おそらくその前年の「新・平家物語」(吉川英治原作)から大河ドラマの記憶があるので、2年目だったのだろうが、この「国盗り物語」、毎回のドラマのオープニングが新幹線(当時はまだ初代新幹線0系である)が高速で濃尾平野を駆け抜けるシーンを俯瞰で撮った動画映像から始まる。この鮮烈な映像と司馬さんの多くの人々が生き生きと動き回る群像劇。それまで子供向けの歴史物語などでも出てこない斎藤道三や明智光秀といった歴史の脇役たちが生き生きと活躍するドラマにワクワクしたのを覚えている。
そして、学校の図書館で新潮文庫の緑茶色の背表紙の「国盗り物語」を借りてむさぼるように読んだ。当時は検索エンジンなどがないので、「国盗り物語」に出てくるマイナーな登場人物を調べるのは図書館で本や百科事典などで調べるしかない。それをノートにメモしながら、本を読み進めた。

その後も「竜馬がゆく」や「関ヶ原」、そして「坂の上の雲」と多くの作品に魅了された。「竜馬がゆく」は確か黄色い背表紙の文春文庫で全8巻あったのだが、学校が休みの日だったのだろう、前日の学校の帰りに書店で最初の4巻だけ買ってきて、朝から読み始めた。すると面白くて面白くて、なんと昼過ぎにはその4巻を読み終えてしまったのだ。そうなるとその先も読みたくなって、すぐに家から自転車で15分くらいの最寄り駅まで飛ばして、残りの4巻を買ってきて、結局その日のうちに読み終えてしまった。1日に8冊を読んでしまうというのはさすがにかなり本を読むのが早い僕でも、これまでの人生でこの本しかない。

ところで、司馬遼太郎さんの小説をかなり読み終えたころに、当時週刊朝日で連載されていた「街道をゆく」が文庫になった。これがまた衝撃だった。「街道をゆく」は1971年に掲載開始で、1996年2月の司馬さんの亡くなる直前まで掲載された紀行文で、「街道」や「往還」、「地域」を中心にその現地を編集者や挿絵を担当する画家(須田剋太さんや安野光雅さん)と歩いて、語る紀行分である。日本文学の紀行文には歴史的にも「土佐日記」、「十六夜日記」、「奥の細道」など、いくつかの名作があるが、「街道をゆく」は、間違いなく、文章の格調高さや風情の写実の美しさではこれらの古典と比肩して劣らない「日本紀行文学」の最高峰の一つだ。そしてさらに司馬さんらしく、歴史の時間軸と街道という地理的な空間軸を一つの回だけで動き回るという知的教養の溢れまくる偉大な作品なのだ。
今後、これ以上の紀行文を書ける人というのはなかなか現れないだろう。

今回から始まるこのNoteは、この司馬遼太郎さんの「街道をゆく」に習い、現地を訪問しながら、僕が調べたことをまぶしながら、感じたことや考えたことを書いていこうと思う。

もちろん司馬さんとは比べうるものではないのは言うを待たない。ただし、私には私なりの視点で司馬さんが歩いた道を歩いて、素人ながら日本の歴史や文化を考えてみるのは一興だと思う。

ご一読いただけたら幸いである。

※1「等持院」を知ったのは当時、東京では日曜日の早朝にやっていた近鉄が提供していたかなり渋めの近鉄沿線の観光地を紹介する教養紀行番組「真珠の小箱」を偶然見たのがきっかけだった。小学校四年生でこのような渋い番組を見る時点でかなり変だ。今の旅行番組のように複数のタレントが出てきておしゃべりをして、楽しく紹介するというものとは全然違い、タレントが出ても1人、それも、ほぼナレーションと寺の住職や店の主人とのインタビューや会話だけといった感じだったように思う。フィルム時代なので寺社の堂内での撮影で光が足りなく、モノクロのような暗い映像だったのを記憶している。



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