「なんだかなあ」とここである事の意味疑問符
#140字でつぶやくことを楽しみにして来た 。ネタは日々のたわいないひとコマだ。いとこのイト子さんがこんな事言っていたとか、夫のおトットといった行動や、わがまま放題の母のこと、孫の成長や庭の雑草のこと、そして自分の体調についてなど本当に個人的で読者目線ではない。こんな内容ならnoteである必要はないのではないか。そんな事を考えるようになってしまった。一方でつぶやかないと1日を終われないほど#140字の作文はしっかり体に染みついた。だから、#140字のつぶやきは続けて行こうと思う。
他のSNSと違うのは無闇矢鱈に立ち寄ってもらえない事だ。それは私にとっては秘密基地があるような安心感になっている。裏返せば、たくさんの読者の目に触れる恐怖心が軽減しているとも言える。この点はnoteを利用していながら矛盾しているのだが、まあ、そう言う事だ。自分の技量を承知しているつもりだから。
書く、文字を辿る、言葉を選ぶこれらは自分と向き合う時間だ。自分の状態に大いに影響される。あんなに書きたいテーマがあったはずなのに何度も書き直すだけの日も少なくない。そんな日のつぶやきでも何とか仕上げると宝物になる。だから必ず#140字は書き上げる。たったの140字に苦戦する自分が情けなくなるけれど、妥協したくないから続けて来たし、これからも続けるつもりだ。
そして今、つぶやくだけの毎日はnoteである必要があるのか?と疑問符に変わって来た。
どう思う?noteでつぶやいてていいかしら?
疑問符を抱えながら、きっと今日も明日も明後日もつぶやいてしまう。勘弁ね。
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