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日本の「端午の節句」と中国の「端午節」の違い

鎧兜や人形を飾り、鯉のぼりを掲揚して、粽や柏餅に菖蒲の花を添えて宴を催します。中国から伝わった端午の節句を起原とし、鎌倉時代以降は菖蒲が尚武と同じ読みであること、また菖蒲の葉の形が剣を連想させることから、日本固有の節句文化となって現代に受け継がれています。

一般社団法人 日本の節句文化を継承する会 様HPより引用

異常気象と言われ、3月は暑い日や寒い日、また連日雨の日も続いていましたが、やっと春らしくなり、4月中旬ころまで、桜を楽しむことができました。
麹発酵点心ベーシック 4月のメニューは、
「中華ちまき」です。
5月は端午の節句のお祝いもありますので、
一足先にお伝えしています。
竹の皮に包むを楽しんでいただいています。

端午の節句(日本)


さて「端午の節句」と聞いて皆さんは、何を思い浮かべられるでしょうか?

私は、子どもが2人いますが、2人とも男の子だったので、実家の両親から、鯉のぼり🎏や兜飾り・五月人形などを贈ってもらい、子どもたちが幼いころは専業主婦で家にいましたので、天気の良い日は、毎朝、鯉のぼり外に出し泳がせていました。大変だったのかもしれませんが、私には弟がいましたので、子どもの頃に祖父と両親が、鯉のぼりを立てていて、風になびく姿を見ていた記憶があります。
時代も変わり、鯉のぼりの形も変化していますが、子どもたちの健やかな成長を願うという意味は、変わっていないのではないかなと思っています。


㈱徳永こいのぼり様 HPより

お祝いの仕方

端午の節句と言っても、日本全国同じお祝いの仕方ではなく、地域によっても色々と違うんです。
私の住む地域(岡山県東部地域)では、節分を過ぎ、4月3日まで桃の節句のお祝いとされています。
その日が過ぎ、5月27日まで端午の節句とされています。
今では、家庭環境などでなかなか見られませんが、庭に鯉のぼりを泳がせます。

また、九州や北関東では、戦国時代の武将の名残があり、幟(のぼり)を対で立てたりします。6m・7mなどの大きな幟は、見た目も壮大な勇ましい感じがあります。
雪深い、東北・北海道などは、5月5日のみに鯉のぼりを立てるそうです。

今では、各地でイベントなどで、鯉の川流しなどありますよね。
所説ありますが、鯉のぼりは、鯉が滝を登って龍になる、と言う登龍伝説(中国の伝説)から、子どもたちの出世や健康を願うシンボルとなったようです。
食べ物では、柏餅やちまきを楽しむことが一般的です。
ちまきも中身は、「おこわ」「白いおだんご」「灰汁巻き(灰汁で米を炊いて甘い味のもの)」各地によって異なります。

また、菖蒲で身を清めることで、邪気を祓い、豊かな収穫を願うともいわれ、「菖蒲の節句」などともいわれます。

端午節(中国)

端午の節句の起源は、約2300年前、中国の戦国時代。
楚(そ)の国に「屈原(くつげん)」という人がいました。 国王の側近で詩人でもあった彼は、愛国心が強くがとても強く、王や国民から信頼されていた人物でしたが、残念ながら陰謀によって失脚し、失望して、川に身を投じてしまいました。屈原を慕っていた人達が、その身を、悪い龍や魚に食べられないようにと、粽(ちまき)を川に投げ込み、太鼓で大きな音を出して屈原の体を守ろうとしたそうです。
屈原が身を投げた日が5月5日。
そこから、毎年この日には彼の供養としてちまきを食べ、川競争(ドラゴンボートレース)が行われるようになりました。病気や悪霊から身を守るために菖蒲や蘭を飾る習慣があります。

節句に込められた深い想い

端折った話になりましたし、節句のいわれなど諸説ありますが、日本・中国ともに、端午の節句は家族が集まり、家族の絆を深め、先人の智恵と願いや伝統を大切にしながら、それぞれの国で色々な形で祝われているということなんですね。
「桃の節句」も「端午の節句」も、子どもたちの健やかな成長を願う為の日本の文化なので、時代によって形は変化しても、その気持ちは、受け継いでいきたいなと思いました。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

コメントなどいただけると嬉しいです。

2024.4.14

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