本当に目醒める?って試されてる
今年度初めは色々あったけど、その後は結構色んなことがうまくいってるってずっと思っていました。
やりたいこともやれているし、会いたい人にもすぐに会えていた。
すごい勢いで色んなことをインプットして、毎日ワクワクしていたし、やる気に満ち溢れていたし、人生って自分次第でこんなに飛躍的に変わるものなんだなって感じてた。
そんな中、職場の先輩と訳もわからず関係がギクシャクするという。。。
急にイライラをぶつけられ、不機嫌で態度が明らかにいままでと違う。。。
仕事の必要なことも話してくれなかったり、最最最小限のことしか言わなかったり。。。
先輩に何かしたかな?って考えたけど全く思い当たる節がない。
もともと被害的に捉える傾向のある先輩だったけど、さすがに人としてそれってどうよ?って。
考えてたら気づいたことが。
9月に並木先生の講演会行った時に、秋分の日以降、試されることが起こりますと話されていたことを思い出しました!
本当に本当に目醒める覚悟はあるか?
目の前に起きていることは、全て自分が引き起こしたこと
全ては自分次第
このことだったかぁ~~!!!
このことに気づいてから、自分の中にまだこんな感情(理不尽な扱いに対する怒り、悲しみ、戸惑いなどなど)があったんだぁ~~~って逆に感動したわ笑笑
最近そういう感情味わってなかったから、懐かしさすら感じてたという笑笑
わたしが映し出しているスクリーンから離れてみようと思って今朝距離をとってみたら、なんか先輩の行動が滑稽だし、可笑しくなって笑わないように必死になり。
そしてまたこういうふうにしか表現できないんだなーと思ったら不思議とかわいく思えたり。
引き続き距離はとって、感情をぶつけられないようにしたいと思います。
そして、思い出したのがカープマンのドラマの三角形の話。
以下は交流分析のページから引用。
心理ゲームの構造を示すためにカープマン,Sが考案した図で、ゲームを演じる人は迫害者(P)、犠牲者(V)、救済者(R)の三つの役割の間を動くというもの。
迫害者は排他的で、相手を見下したり、ミスを正そうとする役割。
犠牲者の役割は他者の助けを誘うような無力さが特徴で、三者のうち最も強力である。救済者は相手の自立・自助を損ない、依存心を高める役割を演じる。
ゲームを演じる人は、これら三つの役割を交替しながらストロークを交換する。カープマン,Sは、自らすすんで犠牲者になる人がいなければゲームは成立しないとし、犠牲者の立場を中心にゲームを考えている。
危うく巻き込まれるところでした。
スピリチュアル的にも、心理学的にも、距離を計ったほうがいい人っていますよね。
以前、知り合いの方にチャネリングして頂いたときに、私は他人の守護霊?さんか何かにやっかみを受けることも多いと言われました。
私自身が念が飛びやすいとも。
私は私の機嫌をとるだけ。
人のことは置いといて、自分のことに集中します。
日々、学びが多いですね笑笑
笑顔で、楽しく、自分らしくいられるようにしたいと思います。
トップ写真のコートールド美術展。。。とても良かったです。
美しいものに会いに行こう。