見出し画像

佐賀県太良町〓思い出すという行為はひとりでやらなければいけない

無口で中身が豊かな人もいるし、おしゃべりでありながら、まるで中身が貧しい人もいる。人の値打ちは言葉数を体重計に載せるような方法では決して測れない。わたしは語ることが好きだから、無口でありながら、中にたくさんの言葉を秘めているような人に出会うと、猛烈に惹かれる。体の軽さや、歳をどれだけ重ねたかは、ひとつの言葉に載せることできる重量とは全く関係が内容に思える。そういったことは、その人の行動や仕草や表情ですこしは知ることできる。(何を言葉とするのか。)相手の気持ちを知ることに、言葉や文字ばかりに頼っていると、惑わされてしまう。だから、人と話すときは、なるべく相手の目の扱い方を見ているのだが、つい先日も「見過ぎで怖い」と言われてしまった。


わたしは今、月の引力が見える町にいる。佐賀県は太良町のキャッチコピーである。有明海をすぐそこに望むこの町では、6メートルにも及ぶ潮の満ち引きを観測することができる。月の引力は目に見えないが、干満の差から、その目に見えない存在を想像する。目に見えないものから、背後にある存在を想像し、そこに物語を生み出していく。愛だって、勇気だって、わたしたちには直接目に見ることができない。それらは行為であったり、言葉であったり、そのものではなく別の形に変えることによってはじめて知覚が可能になるのではないか。では、目に見える、とはどういうことか。目に見えていると思っている世界は、何重にも、外界から取り入れた情報に対して、意識や脳がフィルターをかけている。網膜をはじめとした体の諸機関の個人差や、意味づけによって、同じ風景に目を向けることはできるが、風景を同じように見ることはできない。


今日の午前はドライブに出かけて、町の名物である海中鳥居を少しだけ見た。潮の満ち引きによって、鳥居を見ることのできる割合は、時間帯によって大きく異なる。私がそれを見たときには鳥居の足元は海の中にあって、その水の中がどのようになっているのはわからない。海の中に視線を潜らせることはできないし、鳥居の後ろにも目線を曲げこむこともできない。もちろん鳥居の内側にも。つまり、目に見える部分はほんのわずかであり、見ることは表層を拾うことである。だから、目に見えていると思っているものも、私たちは様々に情報を補完、想像、妄想しながら、世界を構成している。現実というのは、どこかにあるようでいて、一度も触ったことがないのかもしれない。だから、たしかなものを求めたいと思うし、相手の言葉をそのままに受け取れる他者を、わたしは常に求めている。(いや、染み込んでくる言葉を扱える人を探している、と言った方がいいかもしれない。)


わたしは今年の春まで懇意にしていたKという人がいた。Kとは、1年前の冬に福井の漁村で出会った。出会った日の空は大変独特な空の色、雲の形をともなっていて、初対面のわれわれは空の話をしたのだが、Kの空を形容する言葉にわたしの心は撃ち抜かれ、わたしはKと仲良くなりたいと思った。ここまで明確に人と仲良くなりたいと思ったのは久しぶりの出来事だった。彼女の言葉には、リズムがあった。言葉を、表音文字としてだけ使うのではなく、発話する主体としてのKがあることによって、言葉は、毎回毎回独特の意味を持たされていた。それは勘違いかもしれないが、Kの言葉には、一度にさまざまな意味を運ばせる4トントラックのような言葉と、言葉、それをひとつの響きの遊びとして使うような無邪気さがあった。それは二項対立的なグラデーションではなく、雨粒をたたえる蜘蛛の巣のようであり、穴ぼこだらけでありながら、特定の人々を強烈に惹きつけるなにかがあった。


今いる太良町には、どこか、Kの求めていたものがある気がする。綺麗な星空とか、蛍の見える川とか、蟹であるとか。そういった具体的なもの、というよりも、そういった具体を支えるように流れる通奏低音を、Kは求めている気がする。今ここには存在しないKや、他の人の声が語りかけてくるのを感じる。他にも、長崎にはこれまでの人生で出会った友人たちの苗字と同じ地名が複数あり、頻繁に、昔に仲よかった人々を思い出す。思い出す、とか、書くという行為は、1人でやらなければいけない行為だから、どこまでを書くか、そして書くことができるのか、という個人の能力への興味に、わたしの意識はふたたび注がれる。太良町でであったいくつかの人や、出来事について書こうとしたのに、今日はどうやってもそこにたどり着けそうにない。ドライブに行き、食べ、昼寝をして、映画を見て、散歩をして、風呂に入り、食べ、寝る。こうやって行為によってわたしは1日を分節することで時間を把握するが、そこに見出される意味は、分割された中にあるのではなく、途切れのない連続性の中に漂う文字的な出来事を縫い合わせるようにして立ち上がってくる。その日のことを、その日のうちに書くためには、1日は3度現れなけれないけない気がする。

2019.08.15 24:22@佐賀県多良にて

いただいたサポートは、これまでためらっていた写真のプリントなど、制作の補助に使わせていただきます。本当に感謝しています。