見出し画像

ピンクが好きな10歳の少年は"オカマ"なのか。

小学生の頃、私はピンクが好きだった。10才そこらである。他にも、おりがみ、あやとり、お絵かきなど、いわゆる"女性らしさ"や"女の子らしさ"と安易に結びつけられるモノやコトが好きだった。だからか度々「オカマ」などと呼ばれた。そのとき、私は何度かブチギレた。喧嘩したことがある。しかし、そのときに悔しかったのは、"正確には"オカマと呼ばれたから、ではない。3つの理由がある。今だからこそ、これを説明したい。言語化を試みる。まずはじめに、「オカマ」と、時に表現される人々のことをバカにしていること。これが許せなかった。このあたりの表現はデリケートなので、どう記述すれば良いのかイマイチわからない。ひとまず、困った時はWikipediaである、「オカマ」について調べると、このように出てきた。

おかま(オカマ、英:Okama)とは、日本における女装男性やトランスジェンダーを含めた一部の男性同性愛者を指す名称である。 侮辱的な意味合いを含んだ言葉として使用されてきた歴史があり、そもそも語源が肛門のことを示している。

小学校低学年の私でも、私の住むこの世界には「女装男性やトランスジェンダー」が暮らしていることはわかっていた。TVなどで知った。実生活でも会っていたのだろうが、当時はわからなかった。しかし、大抵のTVではそういった人々を「変わり者」だとか「変な人」といった立ち位置でキャスティングしていた。例えばカバちゃんなどをTVでよく見かけた。彼らを面白おかしく扱い、時には侮蔑の対象として「オカマ」を扱っていた。ジェンダーとか、性差別とか、そんな言葉は知らなかったが、TVを見て、彼ら司会者や出演者からいじられているのを見て、笑えなかった。ただただ腹立たしかった。そして、笑われながらも、笑い続けることができている彼らがめちゃくちゃかっこよかった。強い人だな、と思った。僕ならぶん殴っている。

だから、ぼくはぼくのことを「オカマ」と呼ぶ人間にイラついた。嫌悪した。3つの理由を改めて言語化する。1、侮蔑として言葉をぼくに向けたこと。2、オカマを侮蔑語として使ったこと。3、ぼくがかっこいいと思っている人々をバカにしたこと。何重にも腹立たしかった。当時のぼくの言語能力ではこれを相手に伝えることはできなかった。そして、今こうやって言語化しても消化不良である。自分の勉強も足りないし、自己理解も低い。かといって、自分が全知全能になるまで発言を控えていては、何度転生を繰り返したところで、発話ができなくなる。自分は間違いをおかしても当然だ、といった傲慢さは持ちたくないが、発言することで、自分の思想をアップデートしていきたい。

少し話はそれるが、ぼくはワンピースに出てくるオカマ王イワンコフやボン・クレーが大好きだ。めちゃくちゃかっこいい。さらに、ここで豆知識。ジャンプつながりで話したいのだが、「少年」という言葉にはジェンダーはない。少年法などでは満20歳に満たない者、児童福祉法では小学校就学から満18歳に達するまでの者を指す。なので、少年少女という言葉に私は違和感を覚えるし、最近の「森ガール」をはじめ「美術館女子」などと、わざわざ特定の趣味領域の後に性別を接尾語のように用いる文化がわからない。あと、美術館女子は、話題になったプロジェクトを見た時に、端的に人間から知性を奪ってバカにしている言葉だなと思いました。最近の「アート」や「美術」と関連づけられる様々な政策、流行り、公共プロジェクトが、あまりに上滑りで、権力に隷属的で、ヤになる。可愛く言えば、ヤになっちゃう、である。

話は少し変わるが、ここからは、ミソジニー(女性嫌悪)について記述する。ここまでは性差別を批判する内容を書いてきたが、自身の中にある差別について向き合おうと思う。それについて記述を試みる。その発端となったのは、先日ツイッターにて見つけたこの投稿。


これを知って、すごいな。よくぞ、認められるな。公言できるな、と思った。褒められたもんではないが、せやろがいおじさんに対して、言語化できない、複雑なものを感じた。それは未だに腹に溜まっている。

個人的に私はせやろがいおじさんのことが好きで、よく動画をみている。彼の意見に、全部賛成するわけじゃないが、顔を出して自分の意見を言っていること。勉強した上で発言していること。自分の知識も完璧ではないがなんとか論を組み立てて発言していること。映像が綺麗で、さらには笑えること。様々に彼の動画をみて、学ばせてもらっている。この引用されている彼の動画の一部を自分なりに要約すると、このような内容である。

「ミソジニストであるという批判を受けた。最初は受け入れ難かったが、自分の中にそういった面があることに気がついた。30年近くの時間をかけて作ってきたこの考えをどうにか排して、自分の思想をアップデートしたい。他にも色々とアップデートしなきゃいけないところがある。」

この投稿を見て、動画も全部見た。そして、私自身もミソジニストであることを理解した。正確には、私のなかにあった一つの人格、特性をミソジニストと呼ぶのだということをはじめて知った。宣言するようなことではないが、私は、私の中にあるこれを、認めなければならない。

ここから先は

1,888字

¥ 300

いただいたサポートは、これまでためらっていた写真のプリントなど、制作の補助に使わせていただきます。本当に感謝しています。