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25世紀のハローワーク:服の新陳代謝

空想インタビュー「25世紀のハローワーク」を開始する。これは連載だ。私が勝手にはじめた連載で、5回は続けてみたいと思っている。何回続けるかはわからない。ただ、私の力不足ではなく、飽きて、別のテーマを見つけるまではやってみたい。私は先ほど、坂口恭平さんの「ズームイン、服!」を読んだ。これはポパイで3年ほど連載されていたもので、彼が身近な人や生活上で出会った(ネットでわざわざ検索していないという意味)人々に、服と人との関係性を出発点に幼少期の頃からの話を聞き、「思考」のありようを坂口さんの妄想とを掛け合わせて編集した記事である。全部で30の話がまとめられているのだが、読み進めていくほどに、僕も誰かにインタビューをしたいと思った。その熱だけがこぼれ出した。

しかし、これが聞きたいという軸があるわけでもない。聞きたいと思い浮かんだ人にも、何か明確に聞かなければ失礼に当たるのではないか?彼らの貴重な時間をもらうわけだし。などと逃げながら、ならば、頭の中で勝手に架空の世界の住人を登場させて、彼らの思考を、生い立ちを想像すればいい。これならば誰にも迷惑をかけることなく、さらには、事実確認などもいらない。だから、この空想インタビュー「25世紀のハローワーク」は、簡単に言ってしまえば、私の妄想である。しかし、妄想を進めていくためにはリアリティーが必要になるとわかったので、本で読んだことや、知人のこと。更には現実の人間に今後はインタビューをしたいとまで思っている。それらをカットアップし、ブリコラージュし、何かを編み出したい。完璧にできなくとも、ごまかす。それっぽく見せる。それを続けていくうちに、身につけたかったもの、それすら通り越してみたりするだろう。

去年の夏、高円寺をほっつき歩いていた。なんだか大きな声が聞こえるので振り返った。そこでは若者たちとあーでもない、こうでもないといいながらホッピーを飲んでいる体の大きな男がいた。真夏の日に、屋根のない所に座って昼間から酒を飲んでいるその男は、目に焼き付くような朱色のシャツを着ていた。場所が歌舞伎町だったならばホストにも見えたが、ここは高円寺だ。テーブルからはこんな声が聞こえてくる。

「最近の世の中は資本主義とセックスばかりが幅をきかせている。大声で叫びたいよ、ふざけんな!と。ひとまず、俺は資本主義をダサいことにしたい。会社勤めの知人なんかを見つけたときには、お前はいつまで金なんてもらっているんだ。給料なんてものを会社が払おうとしたら、せめて、今月はいいですとか言って断れよ。とにかく俺は金儲けをスベらしたいんだ。」

見た目とは相反して、なんだか仙人みたいなことを言っている。しかも、なぜそんな発言をしておきながら、ど派手なシャツを着ているのかわからなかった。彼の話を聞いてみたくなって、いつのまにか私も注文したホッピーを片手にテーブルに入ったのが、彼との始まりだった。彼はテキスタイルデザイナーをやっていたそうだった。つまり、今はやっていない。その前はゲイ風俗の斡旋をやり、その前はホテルでボーイの仕事をしていたそうだ。ボーイ時代には仲良くなったVIPには、勝手に客の名物のフルーツケーキなどをこしらえて、たくさんのチップをもらっていたらしい。ホテル側からは目をつけられたが、彼はそんなもの意に介さず、せっせと懐にためていたらしい。そして、とあるVIPの客の引き抜きにあいゲイ風俗の斡旋を始めたそうだ。いざこざがありその仕事はすぐに辞めてしまうが、辞職した翌日に飯田橋のギャラリーでたまたまのぞいた展示が転機になる。

そこでは若手の縫い物作家5名による服の合同展示会が行われており、これまで見たことのないような服がたくさん並んでいた。例えば、四角い2枚の大きな布を、何箇所がホッチキスで止めただけの服があった。それは布の至る所から顔や手を出すことができ、その数だけ服のフォルムを変えることができるという品物。構造自体はいたって簡単だが、その単純さと、単純なシステムから生み出されるカオスに、彼は魅了された。そして、首を通すための穴がなく、首を通した穴に手を通してもいい。そしてその逆もありうるという普段は人間から着られることを待っている、服従しているともいえる服からの人間の肉体への柔軟な"提案"に、新しい快楽を見出した。いつの日か読んだ澁澤龍彦が「快楽主義の哲学」において書かれていたことを思い出した。性器だけを快楽の重点地区と見立てること、そんなのは既製品の快楽だと書かれており、だからこそ彼はホテルのボーイを辞め、ゲイセックスについて、憧れとも言える興味から転職をしたことを思い出した。

そういった経緯から彼の作る服は、既存の服を着慣れた私たちにとっては、一見すると服のようには思えない。彼の凹(boko)という作品群は、気泡緩衝材をベースに作られている。大きなシートの気泡緩衝材を近所の子供達に手渡して「今から10分間で、このプチプチを潰して、迷路を作れ」だの「水玉を描いてごらん」だの課題を出す。それによって作られた形をパータンに起こし、いくつかを組み合わせて人の体が十分に入るような立体を作る。そして、それを何個か作っているうちに、人がその中に入るといい具合のフォルムを形成するものがあるのだそうだ。だから、そもそも彼は服を作ろうとしていない。人が中に侵入できる柔軟な器をひとまず作り、そこに実際に身体が位置付けられたことによって、どんな未来が引き起こされるのかを観察している。そして、その観察結果をもとに、新しい器を作ったりしている。今後は、3Dスキャンしてその形に立体裁断した服に人体を位置させることで、無限に形を生成していきたいとも言っていた。

はじめて彼に会った時に、彼の着ていたシャツは後ろから見るとどぎつい朱色だったが、表面には、優しい水色の記事に縫い付け変えられていた。朱色のシャツはゲイ風俗の引き抜きをしてきた人物からもらったそうで、痛みでとうとう着れなくなったときに、他の服と組み合わせてサイズを大きくすることを思いついたらしい。継ぎ接ぎしていくことによって服を自分の体のサイズに成長させる。汚くなったら上から絵の具を塗ったり、記事を張り替えたりすれば、服を更新していくことができる。彼が自分の体に合わせるように作られた服。そして、器としての服を作りその中に人を侵入させることで形態変化を観察する服。これら二つは、現実の肉体によって衣服に物理的な変化がもたらされている。服は通常、一旦作られたものは、着潰されること以外の変化はしないが、彼の作る服は違う。日々、新しい形に生成されていくのだ。それは、まるで新陳代謝のようだ。

以前、銀座の中銀カプセルタワービルに入ったことがある。これは建築家・黒川紀章の代表作で、世界初のカプセル型集合住宅として1972年に誕生した。13階建てと11階建ての2棟のタワー部分に重さ4トン弱のカプセルが140個、ボルトで固定されている。カプセルの広さは9平米。トイレとユニットバスが備わっており、ホテルとして、住居として、住むことが可能だ。それぞれの カプセル同士は接することなく独立しており、着脱可能。古くなったカプセルを新しいものに付け替えることできる、この設計は「メタボリズム(新陳代謝)」という思想が取り入れられている。もちろん、それぞれのカプセルの内部は居住者の特性によって、それぞれに彩られ、建築としての痛みの蓄積もそれぞれだ。

「建築というのは、その内部に、一度に何人もの人を入れ込むことができる。そして服は、通常の服は、一度に一人の人を包み込む形になる。人間を取り囲む物質的な外的環境という面でこれら二つは酷似しており、服は建築である。建築は服となり得るということは可能だ。さらに、ひとつの服には、例えば試着という段階では何人もの人が袖を通すだろう。一人の人間に所有されることになり、生涯を通して一人の人間がその服を身に付けることになったとしても、人間側は体の様子が、加齢や生活状態、精神状況によって、徐々に変化している。

その内部に受け入れた人間は一人かもしれないが、刻々と変化する物理的な肉体のことを思えば、服は一体いくつの肉体を包むことになったのだろうか。また、服は、着られれれば着られるほど、汚れやダメージが蓄積していく。肉体も変化をするし、服も変化をする。ならば、一度買った服をただそのままに着続ける態度よりも、時間経過によって、継ぎ接ぎをしたり、色や素材を足しながら、新陳代謝をしていく方が自然なことではないか?これは勿体無いとか、そういった仏教的な考えに思考が犯されたのではなく、植物に水を与えるように、肉体に食料を与えるように、その平行的な考えによって、衣服にも何かを与えようと思った。ただそれだけのことだ。」

彼の考え方は私にとって新しいものだったが、私はその思考を一切拒絶することなく、体の中に彼のイズムが進行してきた。



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