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日々の微調整、アレンジの連続

謎な仕事で、東松山に来た。のどかな田舎で多少の汗をかくと、なんだか青春18切符で旅をしている心地になる。年始から先週まで、ほとんど仕事というものをが出来ず、金が底をついた。人に奢ってもらうことすら嫌気がさす。なんなんだ、この奴隷根性は。私の中には、怠けたい気持ちもあれど、やったるで!という気持ちもある。仕事をしない、とか、乞食であることは、自分のアイデンティティではない。むしろ、働くことは好きだ。ただ、真剣(?)に考えすぎてしまって、働けなくなる。

大学時代、周りの人々が、インターンや、アルバイトや、就活やこなしていて、すごいなと思った。まず、アルバイトの面接に応募するのに2年位かかった。「あなたはすごいね!」「よくそんなことができるね!」「行動力あるね!」みたいなことを、10代の頃からたくさん言われてきたが、それは、人それぞれ、行動を起こせる範囲が違うだけだ。一週間前の私は、トイレに行くのにも半日かかり、夕飯を決めることに3時間かかり、泣いていた。行動力っていうのは、トイレに行こうと思ったら、すぐに行けること。それで必要十分だ。

東松山に来たのは、金が必要だったからだ。短期でできて、出退勤が厳しくなくて、自分の行きたい日だけ行けて、可能であれば行ったことのない土地に足を運びたくて、ここに決めた。往復5-6時間はかかる。行く前、何度も自分を説得する。説得する。働かないと、また、ご馳走になってしまうよ。奢られて食べるメシもうまいのだが、なんだか、惨めな気持ちになることもある。自分で働いた金で、メシを食べたい。読みたい本を買いたい。エスペラント語の辞書を買いたい。働いたあとに銭湯に行ってみたい。生活をしてみたい。夢の中だけでなく、現実でも、様々な体験をしてみたい。

私の今日の日給を、同期や知り合い、ほんの一時間や、数分で稼いでしまうのだろうか。働くことで、その時間で、なにを得ることができるのか。沢山得ることが、いい、のか。いい、ことは、いい、のか?報酬というのは、責任とか、業界の利益構造で決まるとしても、世界にはあまりにも貧富の差がありすぎないだろうか。人にはそれぞれのペースがある。領分がある。特性がある。他者と比べると、惨めな気持ちや、驕りが生まれる。目線をやるべきは、天地、何じゃないだろうか。お前は、それを自ら選択したか?お前は、そこからなにを導くのか?何十色もの一喜一憂が、脳内を高速で駆け巡り、駆けずり回る。(決めたなら、やってみろ。話は、それからだ。)

電車に乗り遅れないように、前日に、電車の時間を調べる。朝起きてから、普段していることを書き出し、その所要時間を計算し、余分に30分を足して、そこから逆算して、起きる時間を考える。家をでる100分前に、起床のアラームをかけた。朝、ドタバタしないように、朝起きてから着替えるための服を椅子の上に準備して、鞄に入れるものも準備する。朝、ちょうどアラームで起きる。昨晩の自分の準備が誇らしく思え、予定より10分早く家を出て、最寄り駅にも20分前につく。そんな自分が健気で、抱きしめたくなった。自分の特性がわかった上で、対処を幾重にもして、それが上手く行った。愛すべき自分の一面を、抱きしめて遣りたい。

人生で初めて、東武東上線にのった。車窓からの眺めは、豊かだった。2015年にノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章博士は東松山のうまれであり、彼の功績を称える町の中の看板には「東松山のゆったりとした環境でそだったことに感謝しています」と書かれていた。

梶田博士が発見したのは、「ミューニュートリノがタウニュートリノになってしまう」という現象。1986年、ミューニュートリノの数が、予測の6割程度しかないことに気が付き、これをおかしいなとおもったことが研究のきっかけ。その後の10年の研究(!)を経て、地球の裏側の大気で発生したミューニュートリノは、地球内部を通過する間にタウニュートリノに変化することがあることがわかった。

これによって、梶田博士の研究グループは、世界で初めてニュートリノ振動が起きていることを証明。この発見によってそれまで質量がないと思われていたニュートリノに質量があることがわかり、素粒子の理論に変更を迫るものになった。なんのこっちゃか全然わからん。が、一つの疑問に10年の歳月をつぎ込むこととは、どんなものなのだろう、と考えて、しばらく彼の肖像を眺めていた。

東松山駅の隣駅は、高坂駅という。ここは、関東の駅百選にも先出されており、決して大きくはないが、人々を迎え入れ、どこか遠くに送る玄関口として、素敵な建築構造をもっている。高坂駅西口改札からまっすぐ1キロ、高坂彫刻プロムナードという野外彫刻ギャラリーがある。ここには、故高田厚彦氏の彫刻32体が飾られている。私は去年の暮れに、伊豆高原のアーティスト・イン・レジデンスに参加させて頂いてから、彫刻に興味が湧いた。質量を持った作品が、雨風のあたる野外に置かれている。誰しもが触ることができ、その場所を占領し、鎮座する。彫刻を目の当たりにすると、心が少し暖かくなる。

プロムナードの車道を挟むように両側に32体が配置されていた。覚えているのは、何体かの裸婦像、宮沢賢治、新渡戸稲造、ガンジー、棟方志功、タゴール、ポールシャニック、高村光太郎、アランらの像。世界に誇れる一流の彫刻家の作品群で飾られたこの彫刻通りは、豊かな武蔵野台地の風景とも合わさり、知る人ぞ知る、世界に誇れる、彫刻の道だと思う。

様々な逡巡はあれど、今日、ここにきて、良かったと思えた。東松山にきた。働いた。ランチ休憩には、朝握ったおにぎりを頬張りながら、明日のエスペラント語の授業のための予習をした。仕事後に、隣の高坂駅にも立ち寄った。豊かな彫刻の道と、物理学への興味を抱いた。この体験が、なにかの小説を書くための、糧になる気がする。東松山という、見知らぬ土地が、膨らんだ。手触りのあるものになった。やってみると、わかることがある。2回目はもっとうまくできたり、微調整できたりする。

この一週間、お好み焼き、たこ焼き、ハンバーグ、シュウマイを作った。どれも、タネを作って、焼くという共通点がある。どれも、久々にやったことで、コツを忘れていたり、調理の途中から気分が乗ってきた。2日連続でそれを作れば、もっとスムーズに、さらにアレンジも加えることができる。仕事とか、生きることは、そういった、慣れ、微調整、アレンジの連続なんだろう。

いただいたサポートは、これまでためらっていた写真のプリントなど、制作の補助に使わせていただきます。本当に感謝しています。