私が近頃考えている「音楽」について
近頃考えているのは、
「どんなおとも、楽しめたら、音楽だと思うんだ」ということです。
じぶんの現在地を明確にするため、考えを整理にするために文章にまとめました。よければ、みて、きいて、みてください。
1:わたしがいま考える音楽
作曲家の友人と以前江ノ島にいった時のことです。彼は中学の頃から作曲をしていて、ある日ジョン・ケージという著名な音楽家にであいます。
「音楽ってこんなにも自由なんだ!」と、彼は思ったそうです。
びびっときました。ぼくもちょうど同じくらいの歳の時から美術館に通っていてですね、
「アートってこんなにも自由なんだ!」って叫んでいたんです。
そして、話はもどりますがぼくは、自然のおとも、立派な音楽だと考えています。
人間の喉や楽器から音がでるか。自然からでているか。
恣意的か、自然か。それだけの違いだし、波の音、風の音は、立派な楽器(?)だと捉えています。
いま恣意的と表現した音楽も、プロの人たちは無心で音を扱っているそうだから。それは、即興の必然であり、自然体の音楽ともいるのかもしれない。
2:新しい試み
そういった考えからはじめた新しい試みをはじめました。
これは、きいて貰えばわかるとおもいますが、自然の音を録音したものです。鎌倉を散歩をしていたときに綺麗だなぁと、感じて録音したものです。
以下の2枚の写真は、録音しているときにぼくがみていた風景です。
インスタグラムといったSNSに写真や動画をのせて友達とシェアするように、
「綺麗だなぁ、素敵だなぁ」
と、感じた音をシェアする時代がそろそろくるのではないかと考えています。
(どうかなぁ?笑)
そういった時代に先駆け、素敵だと感じた音をシェアさせてください。
(文字、または写真をクリックすると、音源にとびます)
3:コンピューターミュージック
今年の4月から、ぼくはコンピューターをつかって音楽を作っています。
(いまは、初心者だとか、知識がないとかは、いったんおいておいて。)
知識はないけど、感じたこと、体験したことがあるので、それをもとに文章を綴ります。
このコンピューターミュージックというのは、
文字通りパソコンを使って音楽(※/音楽体験)をつくります。
楽譜が読めないぼくにも、音楽をつくることができて。ぼくは、自然の音、日常の音、人の声を拾ってきて、それで音楽を作っています。
そして、これがぼくが人生で初めて「音」を中心につくったものです。
これは、カメラで家の固定電話を撮影したものと、そのときに採取した音にエフェクトをかけたものです。
ぼくは普段からカメラを使うのですが、ピント合わせのときにレンズから生じる音がおもしろいとおもい、この制作をはじめました。ピントを合わせようとすると、音が生じるだけでなく、画面が変化します。
本来は、ピントを合わせる行為は画面を変化させる行為ですが、そのときの音に注目したので、ぼくは、「おお!音もでるし、ついでに画面も変化するぞ!」と、画期的な発見をしたのです(伝わってないだろうなぁ笑)。
4:経験がないなかで音楽をつくることを通して
また、ぼくは楽譜は読めないけれど、日常のものを楽譜として扱うことができるようになりました。
例えば、道を歩いているときに現れる道路標識や人の位置を、音が現れる位置(時間的要因)としたり、その年齢や色味を音(音階/音色の違い)に反映させてみたり。
また、そうやって採取してきた音や、みずから作った楽譜にたいしてあそびを加えていきます。
つまりは、パソコンをつかって、音質に変化を加えていく作業をします。ぼくはまだまだ音楽的な知識や、技術とふれあった時間が圧倒的に短いので、音楽制作のなかで2つのものに大きく頼っています。
1つ目は、かっこよくいえば自分の音楽センスです。
てきとーに作った曲でも、やっぱり自分の味(?)というものがでてきて、じぶんの現在地を確認しながらと同時に「じぶんはこういった音がすきなのか」と感じています。
もうひとつは、偶然の産物です。
エフェクトを掛けるときに、ぼくはそのエフェクトがどんなエフェクトかまだまだ全然わかっていないので、エフェクトをかけながら、今まで聞いたことのなかった音質や音楽体験に出会います。時折、じぶんでは創造できないようなかっこいい音が、偶然による産物で生まれてしまいます。
5:音の第一発見者
そしてこの体験から、
ぼくはじぶんのことを「作曲家」ではなくて「音の第一発見者」だとも考えるようになりました。
(どちらとも、大それていますが。笑)
たまたま、エフェクトかけたら、すごくいいおとになった。じぶんでは想像できないものがぽーんっと、出来上がってくる。そういった体験をなんどもしました。そして、はじめて「音楽」として制作物がこの「Here」になります。
曲名はは、わたしがいまいる場所から、周りから聞こえてくる音を採取し、制作したので「Here」にしました。
また、「いまいる場所からきこえてくる音に耳をかたむけよう。」というメッセージも込めています。
この曲では、おもにひぐらしや蝉の鳴き声、自身の歩き回る音から構成されています。また、友人とあるきながら音を採取していたおかげで、曲のさいごには人間の笑い声がまじっています。
わたしは、その笑い声がおもしろいと感じ、曲の最後をこれで締めくくることにしました。というより、採取した音源の最後にたまたま友人の笑い声がまじっていました。
そういった偶然はとてもおもしろいし、これからもそれを楽しみに音楽制作に関わっていきたいと考えています。
6:おわりに
たまたま、ぼくらの身体から音がでて。
たまたま手をうごかしたら、楽器にぶつかって音がでて。
たまたま街をあるいていたら、美しい音にであって、それを採取して。
まだまだぼくは何も知らないけど。
これがぼくがいま「音楽」について考えていること、です。
ご静聴いただき、ありがとうございました。
まだまだ、成長途中のわたしですので、どうぞ、コメントなどで意見をうかがわせていただきたいです。よろしくおねがいいたします。
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