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素直さを安直と捉える僕ら
ここでは、極私的な散文を書きおく。
過去であり、今も拭いきれない特異の。
苦しいが言えない
辛いも
疲れたも。
同じように、褒めてほしい
いや
存在を肯定してほしいという言葉も
吐き出せない。
昔はマイナスな思いを口に出すこと、その感情の存在を厭っていた。
抱くこと、それが湧いてくる私自身をあってはいけないと。
真っ白なキャンバスに、黒が塗られていくように思えたのだ。
黒は、消えない。誤魔化しようがない。
一度混じり合えば、すべてを仄かに染め上げる。
でも、そうではなかった。
黒も愛おしかった。白よりあたたかく
そもそも、純白は人の子を狂わせる。
白''のみ''で構成された部屋にいると、圧迫感と緊張感をうける。
白は光を多く反射するから、目の刺激が多い。
そして、汚れが一段と目につく。
潔癖は、今でこそ不健康だと思う。
綺麗好きと潔癖は、違う。
たとえば、つり革や手すりを掴むとき迷いが生じるのも、現金に触れたあと手を洗いたくなるのも、信号の押しボタンを誰かが押してくれるとほっとするのも、全部全部かすかによろしくない。
ただ、まだ逃げ道があると私は思う。
病として診断されるものではなくて、好悪に留まる話であれば、だ。
身体的汚れを気にする原因が精神からきているものだとしても手を洗えば、消毒液をつければ、1枚布を介せば、何かをした気になる。その嫌悪感とともに、汚れは落ちたと思うだろう。
ただ、私に限っては当てはまらなかった。
精神的潔癖。
極主観的で、極個人的なレッテルに留まりはする。
どうしようもない宿痾なのだ。
私が息をするうえで、毒になってしまうものが多いのだと思う。
噂が、悪口が、表皮だけを撫でるそのことばが、クラクションが、知らぬ家庭の怒鳴り声が、安易で芯の刺さらぬ共感が、不誠実が通年なこの世が。
ぜんぶぜんぶたわいもない殺意。
ぜんぶがぜんぶ、私へ世界の拒絶を促すのには余りある黒だった。
2023.9
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