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James Rodríguez 止まった時計が動き出すとき

 まず初めに、「ハメスの退団」について僕は悲しんではいない。これは強がっているわけではなくて、本心でそう感じている。どちらかといえば、「やっと、居ても試合に出られないことが分かっているマドリーから出ていけるか」とほっとしている次第である。このnoteを書いている現在もポジティブな状態ではあるので、いつもより拙い文章ではあるが、そういうつもりで読んでいただきたい。

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 ハメスがマドリーを去る。ハメスのマドリーでの時代がやっと幕を閉じた。遅すぎたし早すぎた。これからハメスはエバートンの一員になる。

 言ってしまえば一年越しのマドリー退団。'14ブラジルW杯後、恩師に出会ってはすぐに別れ、追いかけたが、また置いて行かれた。そしてもう一度会いに行く。

 マドリーでのハメスは、時がたつにつれて輝かなくなっていった。特にドイツから帰ってきてからのこの一年間。彼は何をしただろうか。何をもたらしてくれただろうか。

 2014年の入団会見時に”夢”だと語っていた「レアル・マドリー」というクラブは、ハメスにとっては最高の居場所ではなかった。いや、それは語弊がある。もし指揮官がジダンではなかったら、最高の居場所になっていたかもしれない。そこは、アンチェロッティの下でのハメスと、ジダンの下でのハメスしか見たことがないから分からない(ベニテス時代はあまり試合を見れなかったので割愛)。少なくとも後者は最適解ではなかった。

 しかし、最適解ではないなりにも、16-17シーズンにフォーカスしてみれば、結果を出すことを怠らなかった。ハメスの左足から放たれるボールが描く放物線は、何にも例えようがないほど美しい。ペナルティエリアの3~5mくらい外の位置から、中央に入っているベンゼマもしくは、クリスティアーノへピンポイントに飛んでいくクロスは彼の代名詞と言ってもいいのではないか。「シュートよりもアシストを褒めたくなる」、そういうパスやクロスばかりを、ゴール前に供給する彼を、キモいくらいニヤニヤしながら見ていたあの日々はもう戻ってこないのか。

 彼のストロングポイントはそこだけではない。MF登録とは思えないほどの得点力も兼ね備えているのは周知の事実だろう。何を隠そう、14-15シーズンの得点ランキングでは、BBCトリオに次ぐ17ゴール。MFの中ではダントツの数字を残したことだってある。負けはしたものの、16-17シーズンのクラシコ(ホーム戦)で同点弾を決めたあの瞬間は二度と忘れないとここに誓おう。なんて言ったって、興奮のあまりクローゼットの扉に蹴りを入れ、巨大な穴が開いてしまったのだから(ガチ)。まあ、私事なんてどうでもよく、彼は一時期「ゴラッソ製造機」と言われるほどゴラッソしか決められない職人になっていたこともあった。

 これだけの能力があるのに、マドリーでは輝けない日々が長すぎた。ベニテスにも嫌われ(ていたらしい)、ジダンにも嫌われた。特にハメスをとことん冷遇するジダンを、僕は個人的に嫌いになり、ジダン解任の記事がいち早く出ることを切に願ったり、解任になるためのアクションがクラブ内に起きることを祈ったりと、今となってはサイコパスでしかない思いがどんどん膨れ上がっていったのを覚えている。だが、このサイコパスな思いが増えるにつれて、CLもリーガも優勝する日々が近くなり、最終的には「監督がジダンでよかった」とも思うようになってしまい、見事に掌をひっくり返したこともあった。

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 ハメスがマドリーに戻ってきた19-20シーズンを振り返ってみれば、ハメスもマドリーも愛する僕にとっては、「喜」(リーガ優勝)と「哀」(ハメスの冷遇)の2つの感情が混ざっていた。

「少しでもいいからハメスのプレーしてるとこを見たい。だけど、ここでハメスを出すのは間違ってるよな」

 多分、ハメスを個人として応援しているマドリディスタなら全員が思ったのではないか。正直、こういう思考になることはマドリー復帰が決まったときから薄々予想はできていた。どうせ、ジダンはハメスを使わない。ハメスにとって、真っ白な一年になることは容易に勘づいていた。だからこの移籍は遅すぎたのだ。受け取ってくれるクラブと、マドリーが出してもいいと思えるクラブが合致せずに、言い方は悪いが「居残り」という形になってしまった。今だから言えるが、19-20は本当にもったいない一年だった。

 しかし、彼のポテンシャルが無くなったわけではない。彼のポテンシャルを発揮する場が無くなっていたのだ。最高の居場所を見つけられれば、またそこで輝きを取り戻すことが可能だろう。だが、しつこいようだが、その最高の居場所がマドリーであって欲しかった。だからこそ、こういう形でマドリーを去るのが本当に悔しい。そして、エバートンのサポーターには大変失礼な発言になるかもしれないが、ハメスが「常勝軍団で、毎シーズンタイトルレースに参加するようなビッククラブ」から、一歩下がって、「中堅」と言われるクラブに移籍することが、心のどこかにもどかしさを感じる。まだ欧州を代表するクラブの第一線で活躍してほしかった。それがスペイン以外の欧州ならどの国でもいい。どこでもいいから国際大会でも顔合わせのできるクラブに行ってほしかった。まだ挑戦の場を下げる年齢でもなかったようにも思ってしまう。だからこの移籍は年齢的に早すぎた。

 もちろん、ハメスようなタイプの選手が、現代のビッククラブから欲しがられなくなっているのは承知である。マドリーでも、バイエルンでも短期間でしか輝けないなら、中堅クラブに居場所を作る方が最適で無難なのかもしれない。だが、どうしてもそこに「運の無さ」も付け加えてしまいたくなる。負け犬の遠吠えになってしまうが、「あの時にああだったらなあ」と逃げだしたくなる。そう思うたびに、何年たっても、何度監督が変わっても、スタメンを奪われない選手と、奪われる選手の差を認めざるを得なくなる。決して、ハメスが熾烈なスタメン争いに負けたとは思いたくない。ただ運がついてなかったんだと。

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 最後に。ハメス本人がこの拙い日本語かどうかも分からない文章を読んでくれるとは1mmも思っていないが、感謝の言葉を述べさせてほしい。ほんとにマドリーに来てくれてありがとう。夢を見させてくれてありがとう。最高の居場所にさせてあげられなくてごめん。ただただ、ありがとう。

2014年8月1日。マドリーでの初のトレーニングを終えた後のあのツイートが、また僕を強くする。


ハメスはまだまだここから進む。


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