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若者は弱者と読める

 わたしは若い。若者。名前がついてるからって、ちっとも偉くないし、法律ではもう「大人」なわけだけど、そんなの多分嘘。(笑)まだまだ親のすねをかじっていたいし、友達とはキャッキャしていたい。
 そもそもこれを書いていることだって、恥ずかしい。だけど、若いから、なにも知らない若者だからこそ、どこかの誰かには、きっと刺さる言葉を届けられると思って、これを書いています。自分の物語を誰かに話すことはとても勇気がいるし、だってもしかしたら馬鹿にされるかもしれない。だけど、時には踏み出すことが必要だと思うんです。過去の自分と向き合うべきなのです。そんな偉そうに語れる私ではないですが、ここで私が、一番最初に踏み出す人間になれたら、と思って、、、。

暗黒時代ってマジである。

 少しばかげたタイトルかもしれません。まあそこは軽く受け止めて。(笑)まだまだ人生長いんですけど、そんな赤ちゃんみたいな私に、すでに暗黒時代が存在します。この程度で暗黒なの!?と思われる先輩方いると思います、その時はどうか、あ~この子はまだまだ分かってないわね、というわが子への目線を向けてくれたら幸いです。(笑)

 単刀直入に言うと、私の暗黒時代はずばり中学時代です。あの頃はホントに未熟だったんだな、、、とすごく後悔していることがあるんです(今も未熟者ですよ、、!?)。中学生の自分は一言でいうと「最悪」でした。今では、それに気づけて良かったって考えるようにしているんですが。なにが最悪かっていうと、性格、だったんですよね。もうね、根本から腐ってたんですよね(笑)あ、笑えないぞ!!!笑うな自分!!

 それに気づけたのは、高校生になってからで、中学の友達には今も合わせる顔がありません、、。あの頃を振り返ると、自分はひたすらに「自己中」で「生意気」でした。優しくてなんでも聞いてくれるような友達に対して、当時は、自分の言うことをなんでも聞いてくれる人だと思って、横柄な態度で接していました。本当に最低だったと思います。もちろん相手を傷つけようとかは思ってませんでしたが、思ったことをすぐに口に出す、悪魔のような自分だったので、そのせいでたくさんの友達を傷つけてしまっていたと思います。

 それで結局、中1では、あるリーダー格の男の子に嫌われてしまい、少なくとも中学1年生の後期~中学2年生の間はずっと、悪口をいわれ続けていました。死にたいと思ったことも少しあったと思います。

 例えば、私はくせ毛なんですが、ある日、雨が降っていた日に髪を下ろして下校してたんです。まあ中学生だったのでヘアアイロンとかは持ってなくて(今時の中学生はみんな持ってそう)、だからモサモサの髪の毛だったんです。そしたらあいにく、その男の子を含んだ男子集団がやってきまして、私に聞こえる声で「あいつの髪の毛モサモサやんww」とか言ってきたり。その男の子を筆頭とするほかの男子にも、わたしのことをなすび?ニキビ?だったかな、そういう風にあだ名づけられたりして、たくさん悪口を言われました。ほんっとにつらかったです。(笑)

 もちろん母に相談とかはしていましたが、意地っ張りだったので少し強がって「平気平気!なんだよあいつ~!!」みたいな感じで言ってたと思います。辛くて学校行きたくないとは絶対に言いませんでした。だからほんとに辛い日も学校には行きました。一日も休みませんでした。結局やっぱ、思春期真っ最中だったので、外見のことを言われたことが一番ショックでしたね。ニキビ肌だって、モサモサくせ毛だって、頭でっかちだって、望んでそうなったわけじゃないのに!!!!って叫びたいですね。

 悪口の話を膨らませすぎました。とにかくそういうこともありました。被害者ヅラだけしてるのもおかしいので言いますと、繰り返しにはなりますが、私はたくさんの友人を傷つけました。生意気に意見して友達を傷つけたり、下にみたような発言をしたり、本当に傲慢でした。だから悪口を言われ続けたのは、神様からの罰だと思います。そう思いたいです。私の発言で傷つけてしまった友人たちは、私から離れました。今ではほんとに後悔をしています。チャンスがあるのなら、会って謝罪したいです。だけどこんな私、傲慢で生意気な私と、ずっと仲良くしてくれていた大切な友人たちもいます。たくさん傷つけたはずなのに、私と仲良くしてくれていたんです。思い返すとほんとに感謝ばかりです。変わらずに私の隣にいてくれた友人たちのことだけは忘れずにいたいと強く思っています。

気づけることってホントに大事。

 わたしは上記にある通り、ほんとに生意気わがまま最悪人間でした。ですが、そこから変わる努力を今までし続けてきました。実際変われているかはわかりませんが、自分のダメなとこに気づき、改善してきたつもりです。ここでの気づきってホントに大切だと思いませんか?もし私が自分自身と向き合っていなければ、今も生意気モンスターのままだったと思うのです。まあそれも周囲の人にしか知りえないことだとは思うのですが。
 「気づき」は生きる上で絶対的な必需品だと思います。自分への「気づき」、友人への「気づき」、家族への「気づき」、、。「気づき」にはたくさんの種類があって、どれも全部大切な気づきです。その中で私はまだ一握りしか気づけていません。だって若者ですから。言い訳してるのか?いいえ、そうではありません。まだまだ社会にもまれた時間も、経験値も少なく、一人では生きていけない弱者ですから。ですが、こんなちっぽけな一人の若者でも、一つや二つのことには「気づく」ことができたのです。「気づき」は人を強くさせ、成長させるものだと、私は強く思います。

最後に…

こんな偉そうで陳腐な奴の自伝を読んでくださって本当にありがとうございました。読んでくださった方に素敵なことが起きますように願っています。少しでも多くの人、老若男女その他諸々の皆様にこのエッセイが届いたらいいなと願っています。全員に幸あれ!!!!!(私にも幸こい!!←さすがに傲慢)本当に、ご精読ありがとうございました。

#創作大賞2023 #エッセイ部門


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