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ドンクのパン

毎日書こうと思って始めたnoteだけど、気がつけばいつぶりか忘れてしまうほど長い時間が経っていた。

ま、こんなもんです。私。

数年前まではよく行くショッピングモールにドンクがあって、とてもよく買っていたのだが、モールの再編に伴って近所からなくなってしまい、しばらく買えずにいたところ、リニューアルした近場のデパートにドンクが入ったのでまた買えるようになった。

ドンクのパンといえば思い出すのは亡き父のこと。

父は、大企業の子会社に勤める会社員だった。祖父はパン工場を経営していたそうだが、ギャンブル好きが元で借金のために工場を潰し、家庭は不安定だったらしい。小学生時代は「神童」と呼ばれていたという父(あくまでも自称)は、家庭の不和とともにグレてしまい、中学生では不良の道に入ってしまったそうだ。これを見かねた中学の先生の勧めで野球を始め、やがて甲子園を目指す高校生ピッチャーとなった。結局甲子園には行けなかったが、実業団チームでプレイするチャンスが与えられ、高校卒業とともに就職した。

しかし、程なく肘を壊してピッチャーができなくなり、子会社の社員となった。会社が経営するうどん屋の店長となった父は、真面目に働いてはいたが、DNAのせいかギャンブルが好きで、しばしば借金を作っては家庭に波風を立てた。休みの日になると、近所の子供を集めて空き地で野球をした。運動が不得意な私にもグローブを買ってくれて、草野球に参加させられたり、阪神対巨人の試合や、高校野球の予選などに連れて行ってもらった。おかげで野球のルールは早くから知っていた。家にいるときの父は、スポーツ中継か競馬中継をよく見ていたが、後になってそれは賭け事のためにその行方を見守っていたことも多かったと知った。

父の仕事は忙しく、普段は子供が寝た時間にしか帰ってこなかった。これもギャンブル絡みだったようだが。たまにドーナツやお寿司などをお土産に持って帰ってきては、寝ているところを起こされ「食べろ食べろ」と夜中に食べさせられた。「おいしい」というと「そうだろう」と父は満足げに笑っていた。勝ったときだったんだろう。

その父が、語ってくれたのがドンクのパンだった。

父の職場の近くにドンクというパン屋があり、とてもおいしいからいつか機会があれば買ってみるといいと教えてくれた。

私がやっとドンクのパンを食べたのは成人してからで、デパートにあるお店の前を通りかかった時に、父の話を思い出して買った。確かに美味しかった。(韻を踏んでる)

父と一緒に暮らしたのは21歳の時までで、その後は両親が離婚し、やっぱり借金まみれだった父とは疎遠になった。父との穏やかな思い出はそれほど多くないけれど、ドンクのパンを美味しいなあと思いながら食べているとき、父も私と同じポイントで美味しさを感じていたのだろうと想像して何やら幸せな気持ちになる。