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平凡リーマン、齢四十を超えて“成功する人間が早起き“をして熱心に筋トレをする理由が、わかった気がする。やっと。

ボクの若かりし頃は、
睡魔すいまとの戦いだった。

朝が眠い。毎朝眠い。
ぬぇむい。それも信じられないくらい毎朝安定してまったく起きられない。

大げさではない。
“今日こそは絶対に会社を辞めよう“、
“死にたい“、
“終わった、世界の終わりだ“

毎朝、そう思いながら一日の幕が開けていた。

目覚ましが鳴ると布団の上でのたうち回りながら満身創痍まんしんそういでフラフラのまま立ち上がる。

そしてなんやかんや
死なずに顔を洗って歯を磨き、

そしてなんやかんや
死なずに服を着替え、

そしてなんやかんや
死なずに家を出る。

ようやく命からがらの瀕死ひんし状態で会社に到着するも、しばらくはなかなかエンジンがかからない。

そんな感じでいつも
午前中はまったく力が入らず、身体および脳のキレが悪くなっているような感覚に襲われていた。

毎日朝は眠いし、
昼飯はアホみたいに馬鹿食いして、夜は飲みに行って、その後はラーメン替玉ウェい。

帰宅すると、PCにかじりつく。
すると今度は信じられないほどに目がシャキッとえてきて、

“帰ってきた堕天使だてんし“という恥ずかしいハンドルネームでインターネットに入りびたり、

そして顔も知らないどこかの
“白ごはん”さん、“かりんとう”さん、“悪魔の娘”さんと、

頻繁に草(www)を使ってチャットする。

それがまさに習慣になっていた。

そう。
ボクは朝が苦手だったわけではない。
若かりし青春の日々は自他共認める超絶・夜型人間であったのだ。

人は夜になると良くも悪くも”ちょっと普通ではなくなる”

人は不眠と、夜の魔力を借りる事で、
規則正しい生活では得られない強力な武器が手に入る。

夜はココロを狂喜乱舞きょうきらんぶさせる。
言いかえるならば、普通ではない“魅力みりょく“があふれ出るのだ。

学生時代、
夜中に書いたラブレターを朝になって読み返してみると、しゃに構える自分が書いたとは思えないほどに感情丸出しのくっさい恥ずかしい文章になっていて、
赤面して手渡すのをやめたことがある。

ボクがnoteを絶対に早朝につづるのは、真っ昼間に見返したときに赤面しないための保険的要素が大きい。

でも、

それでもボクは
“人生で本当に面白い事は夜の0時から始まる“
と、そう思っている。

なぜなら精神がハイになった状況では、
シラフだったら絶対に経験できないような性質の面白さが得られるからだ。

医学的根拠はゼロだけど、
きっとそれは事実である。

休日前の夜中に酒を飲みながら
眠たい目をこすり続けたすえに、
妙にハイになった精神で摂取する他人様ひとさまのnoteにしたって、You Tubeコンテンツにしたって、

面白さが尋常ではない。

それと比較すると…
朝には何も楽しめることがない。なかった。
少なくとも魅力的なものはナニもない。

夜という素晴らしい時間をけずって早起きをするよりも、夜ふかしをして昼ごろまで寝ている方がどう考えても
気持ちよかった。

ダイエット中でも甘いものをやめられないように、喫煙者がタバコを吸ってしまうように、

夜の魔力に取りかれた人間は、
ダメだとわかっていても、

“夜更かしをしたい“

そう考えてしまうのだ。

32歳を過ぎてから朝型人間に激変した

「このままではアカン」
こんな生活をしていてはダメだ。

20代は夜型のライフスタイルを謳歌おうかしていたが、次第に年齢にはどうしても勝てなくなった。

前夜の一本の缶チューハイが残る、
頭の回転がわるい、
コトバが出てこない、
胃もたれがスゴい、

なんとなく記憶力も落ちてる気がするし、
なんとなく身体が痛いしダルいし、
30前後アラサーで、そんな不調があからさまに出るようになった。

そんなとき、

当時読んでいた自己啓発本やビジネス本に、「成功する人間は早起きだ」という文面がそこかしこに並んでいた。

スティーブジョブズ(元アップルCEO)、
マーク・ザッカ―バーグ(facebook創始者)なんて毎朝4時半に起きてジムに通い、フンフン言いながらせっせとベンプレをあげているというではないか。

そうか。
朝型の人間にさえなれば、
全てが規則正しくなるのか。

結果を出した人間の言葉は、
受け入れられやすい。結果を出した人間が
“早起きしてるんです“と言えばまるで早起きしたことと“結果“に因果関係があるように思えてくる。

それからというもの
この希望のもとに朝型人間になるべく
「朝型プロジェクト」を始動させた。

しかし見事に頓挫とんざ

朝型になろううう、はい頓挫とんざ! 
朝型……はい頓挫とんざ

成功するために、
健康のためにと、
規則正しい生活を始めてはみるものの、数日の内に“朝型プロジェクト“は決まって頓挫するのだ。

そしてしばらくすると
その名のとおり“帰ってきた堕天使”となり、寝るのは0時をまわり、起床時間はいつもの始業時間ギリギリのやつに戻る。

その後、数ヶ月も経つと、
ふとまた朝型になってみようかなと思う。
そして数日間朝型を試して、すぐに頓挫する。そうやってダメだと思いながらも“朝型を試しては頓挫する“ことを繰り返していた。


結局ダメだ。
“人間、朝方と夜型があるっていうし、僕は夜型なんだろう“

そんな感じで、そのころは、
夜ふかしがあまりにも好きすぎて、
自分が朝型になるだなんて一ミリも思わなかった。

が、

いまはどうだ。

早起きが完全に習慣化されて、
毎日21時、遅くとも22時には寝ている有様ありさまである。

一体何が自分を変えたのか?

それは「朝起きたい」という駆り立てられる強い衝動である。朝ラン(早朝ランニング)を始めてからというもの力関係が完全に逆転してしまった。

ボクは夜ふかし以上に楽しいことなど、
この世にないと思っていたが、
ランニングはそれを超えた。

今では朝にシャッキっとしてから、最高の状態で一日をスタートさせるのが何よりの楽しみである。

走っていると、本当に色々な事を考える。

人生の意味だとか、
理不尽な仕事のことや、イヤな人間関係、人生後半戦の夢など。

本当にビックリするぐらい”自分”の事を考えられて、他人から悪く言われようと、どう思われていようとクソみたいなもんだ、ちっぽけなことなんて、どうでも良い。

内面から超ポジティブな感情が爆発し、ナンて言うかもうサイコーな感じになり、自然と笑顔になってしまう。

何があったわけでもないのに、
ただひたすらに薄ら笑いを浮かべる不気味なおっさん。

その魅力がボクの脳を根本から変えた。

この生活を取り入れてから心底理解したのだが、世のビジネスパーソンが早起きして運動をしてるのは体型維持なんかのタメではない。

早起きなんてものは、健康のためと思ってやるから頓挫する。無理してやるようなものではない。そうする必要に駆られたら自然とそうなるタイプのものだったのである。

はっきり言おう。

過労で精神がヘトヘトに疲れた状態で
朝日を浴びて景色を見ながらゆ〜っくり10キロ走ると…

めちゃくちゃに覚醒し、
気持ちよくなるのだ。

ということで、

ランニングが習慣化したボクは、
明日、大阪マラソンに出走します。

結論づけが強引すぎて、
自分自身がいちばん驚いております。

はい。

ただいま2月25日、7時13分。
今日も朝日が窓から差してきた。

語らい合ってオールして眠い目をこすりながら見る朝日も、早起きしてみる朝日も、

朝日はいつもそこにあって同じわけだが、

どっちの魅力も味わった上で、
人生後半戦のボクは早起きをしてからみる朝日の魅力を選んだ。

人生の選択の正しさなんて
死ぬまでわからないし死んでもわからない。
それが正しいかどうかなんて、
どう転がるかなんてわからない。

もしかしたら夜更かしをして語らい続けていたほうがよかったかもしれないし、

朝型に変えてよかったかもしれない。

人生は選択の連続である。

人生を何かについやせば、否が応にも、その瞬間に自分の中に“変えられない価値観“ができあがる。

そして、一度信じてしまったその価値感は、少なくとも自分の中では絶対的なものであり、そして世の中としても、
それが絶対であって欲しいと、そう願う。

でも実際は違う。
人間は、想像力の範囲内でしか動けない。
だから想像を超えた先に魅力的なモノがあるなんてのは、なかなか気づけない。

だから。

さあ。

何歳なんさいになっても
苦行や修行とも思えるチャレンジングな日々を夢中になってやっていこう。

大丈夫、想像の範囲外にある世界って、
もんのすんげー気持ちいいから。

むむ?
あれ、なんかマジメすぎる?
ま、ボクの読者さんはマジメさんばかりやからええか。

え?
ええええええ?

うんこべちゃ。

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