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おっさんになっても、“失敗”したって、“中止”したっていいんだよ。

ブルブル、ブルブル…

商談中、出られない状況下で
着信があった。

スラックスのポケットの中で
スマホが小刻こきざみに振動する。

ボクは誤魔化ごまかそうと身体を必死にクネらせた。

下半身をクネクネしながら世間話をする。
そして相手は、さも聞こえていないかのような顔をして会話を続ける。

昔から思っていたが、
この何気ない空気の破壊力はヤバい。
異様である。

10回ほどコールがあった後に、
留守電に入った。

なんとなく気まずい雰囲気から一変し、
ボクらはひとときの平穏へいおんを取り戻した。

しかし、それもつかの間だった。

ブルブル、ブルブル…
ブルブル、ブルブル…

ここから3回ほど
振動→留守電→振動→留守電
を繰り返す。

ついに相手は嫌気いやけがさしたのであろう。気をつかわせてしまった。

“あ、どうぞ。(出られても)いいですよ”

“す、すみません。いや切っときます………”

完全に商談の流れはぶった斬られたが、スマホを取り出して確認するには、ちょうど良いタイミングではあった。

いったい誰?どこの顧客だろう。
こりゃきっと大層たいそうなクレームだろな。

電源を落とすていで、
スマホの画面をチラ見した。

ん?
むむむ…、

…あいつ(部下)だった。

何度もしつこくかけてきて……
いつもはそんなヤツじゃない。
いったい何であろうか?交通事故か?
やっちまったか?


イヤな予感が脳内を支配し、
もはや商談どころではなくなった。
心ここにあらず、とはこのこと。
サッとその場を切り上げると、外に出るなり、すぐさま折り返した。

トゥルル、トゥル…
ガチャ!

部下氏は、2コール目で
あっさり出た。

“あ、おつかれさまです!すみません、何度もしつこくかけちゃいまして。”

声を聞いてホッとした。
オレの取り越し苦労か。
で、なになに、なんなの?

“えぇっと……電話ではちょっと…“

言いかけて、口ごもる。

部下氏は直接会って報告をしたい、と申し出てきた。“今日は何時にお戻りですか?“
しつこく着信をいれてきたのは、それを確認するためのものだった。
いや、そんなのチャットで…とは思ったが、

人は大事なことを直で話そうとする。

ボクも若かりしとき、付き合っていた女性から突然
“もう…ムリ。会いたくない…キライ“
と別れを切り出されても必死に
“もういちど会って話そう。話せばわかる“
とすがりついた非モテならではの黒歴史がある。すこぶるキモかったであろう。怖かったであろう。

地元の友達から風の便たよりで聞いた。
どうやら今は結婚して幸せな家庭を築いているらしい。

よかった、彼女が男性不信にならなくて。

部下氏もなにか重大な“失敗“をしでかしたのであろう。今日は少し時間がかかりそうだ。

ボクは帰りに缶コーヒーを2個✕2人分、
4つ買って帰った。

H3ロケットの打ち上げの“中止“、“失敗”

「それは“失敗“ではないのですか?」

満を持して、時事ネタを取り扱う“雑記家”と自称するボクが、一ヶ月も前のネタにさかのぼってウンチクを述べてもいいものか分かんないけれども、
第一回目のロケットの打ち上げが中止された後に行われたJAXAの記者会見について、今更ながらnoteにしたためておきたい。

あの打ち上げが“失敗“かどうか、ということよりも、この“失敗“という言葉に強いこだわりをみせた共同通信の記者の態度がすこぶる悪くて、捨て台詞が不快だったので世間から批判にさらされた、

というが実際のところだと思う。

少なくとも、予定どおりの打ち上げができなかったのだから、打ち上げに関しては“成功“ではなかった。

シンプルにそれが庶民のボクの感想だった。

記者の役割というのは、ボクのような“ど素人“の感情を代弁し、当事者からわかりやすい答えを引き出すものであると、池上彰氏はよく言う。
であるならば、あの捨て台詞を除けば、記者の質問としてはそこまで問題視するほどのものではなかったように、ボクは思った。

それよりも。
むしろ、
JAXA側の方に違和感があった。

あれほどにまで、
“失敗“という言葉をこばんだ。

「電源系統の異常を検知する制御装置が働いたことにより、予定どおりの打ち上げには成功できませんでした(失敗してしまいました)。原因を精査して次にむけて準備します」

と、サラリと答えていれば、
この話はそれまでだったような気がするし、

どこかしらに“失敗“という認識があれば、
失敗からしか学べないことがあるという気構えで、次は準備万端でのぞめていたんじゃないか、

なんて今となっては
そう思えて仕方がない。

“日本のロケット開発の父“

と呼ばれた有名な工学者がいる。
糸川英夫いとかわひでお氏。

ボクの大学の研究論文は衛星気象学。
だから彼は尊敬する学者の一人である。

糸川氏は、何度うまくいかなくても
決して“失敗”という言葉を使わなかった。

集まった記者に
「糸川さん、今回の失敗の原因は、どこにあると思われますか?」
と聞かれると

「あの、すみませんが、僕は、失敗という言葉を使いません。一生、使わないつもりです。全てが学び。明日へのかてです。この世に、失敗はありません」

と、ズバリと言い放った。
彼は消しゴムすら使わないし、部下にも使わせない。それくらいに“失敗“に対する信念を貫いた。

ロケット開発の業界には、元来がんらいよりこうした偉大な「日本のロケット開発の父」の残した言葉が“家訓“のようにあって、

共同通信の記者が、
「それは“失敗“ではないのですか?」
と、イジワルな誘導を繰り返したのは、きっとその背景をなぞりたかったというか、揶揄やゆしたかったのであろう。

「(あなたの業界では)失敗という言葉を口にしづらい文化」かもしれないけれども、さすがに今回のは失敗だよね、って。

でも、ああいう追求の仕方、公の場での捨て台詞。こういう態度が世間からは、しっかりと酷評こくひょうされた、
という世界は、ボクは健全に近いと思った。

イロイロと失敗すると
完膚かんぷなきままに叩き落とされる今の世の中にあって、挑戦に対してはそうではないんだ、まだまだ捨てたもんじゃないなと思った。

ロケットH3試験機1号の2回目の打ち上げは、失敗ではないのだ。“失態”だったのだ。それも致命的な。

第2段エンジンに着火しなかった。

ロケットH3の第2段エンジンの基盤となる制御システムは、2001年の試験機1号機以来これまでに46回中45回の打ち上げに成功していたが、今回の発射ではうまく機能しなかった。

こういうことのあるのがロケット。
そのための“試験機“でもあるし、
これ自体は仕方がない。

そう思った。

が、

しかし今回の発射。
さすがに理解のしがた
致命的な“失態“をしでかしていたのだ。
失敗ではなく“失態“である。

“試験機“であるはずのこのロケットに、
喪失の痛手が大きい地球観測衛星「だいち3号(ALOS-3)」という、
代わりの利かない極めて高価な実用衛星を搭載していたのだ(大絶句)

となると“試験機“という前提が崩れる。

タイムスケジュールをみても、そもそもが、この試験ロケット1発で成功すること前提に計画が組みこまれていたことになり、開発側に“過信“というものがあったのではないかと感じざるをえない。

どうでもいいような言葉遊びで1回目を失敗ではないことにし、専門家に近い人たちも腫れた個所をガーゼで包むようにかばい立てするものだから、
1つの不具合に気を取られ、
全体の判断や点検整備を怠ったのではないか。

この失態を目の当たりにして
厳しい見方をすると、
そういう風に世間から思われても仕方がない。

「だいち3号(ALOS-3)」を喪失したことによって、もはや日本が失ったものは計り知れない。ロケット販売競争力で、日本は取り返しのつかない10年単位の遅れを取ることになり、金銭面以上の大損失をこうむった。

いったい誰の判断、意志決定なんだ。

JAXA側は、失敗で終わりたくないから、
調査して次に繋げる、と次回への挑戦意欲を示した。

もちろん“失敗の経験“を積み重ねることによって技術が進歩する。
それは重々にわかる。

でもそれは大局的にみた「成功」である一方で、進化のプロセスで喪失したたモノがそれで復活する、というものではない。

この致命的な“失態“をしでかした組織に、
こくだけれどもボクのような民間会社であれば次はない。
ロケット試験機に「だいち3号(ALOS-3)」を搭載する判断をしたメンツ、プロジェクトマネージャーは責任とって、

担当からハズレろ、
ってなっちゃうだろうな。
ボクの会社ならね。

失敗には次がある。
でもこれは“失態”だからね。

事務所に戻ってから、密室の会議室で部下氏から報告を聞いた

どうやら、ほぼ獲得見込みであった案件を最後の詰めの段階で逃した。それも、見積書の提出を失念し、タイムアップとなり、顧客を怒らせた、という、初歩的かつ、どうしようもない失敗とその反省の弁であった。

「今回の失敗は教訓になりました。こんな報告はもう二度としたくありません。申し訳ございませんでした」

デートの待ち合わせに遅れ、目覚まし時計の電池が切れていた、とバレバレのウソをマジメ顔で言い、キモがられていた自分とは対象的に、

彼からはなにも言い訳はなく、
終始うつむいていた。反省の弁と表情、そして態度。しっかりと反省したのはわかった。気持ちも伝わった。

この失敗は取り返しがつく。
「わかった。これからは気をつけてよ。」
そう言って、イントラにスケジュールを入れるなどの改善策を求め、部下氏の肩をポンと叩き、ボクは退出しようとした。

すると彼は改めて言った。
部分的なところだけでなく、仕事に向き合う姿勢も含めて、全体的なやり方をもう一度見直す、と。

ほぅ、素晴らしいじゃないか。

大丈夫だ、ワカモノ。

スティーブ・ジョブズや、松下幸之助も“失敗“をかてにして、積み重ねて、大きな成功をおさめたのだ。彼らにとっての“失敗の経験“は、結果的には“成功の要因“になったのだから。

おっさんになったってね。
失敗したっていいんだよ。

年を重ねてきて後悔してしまうのは
「やって失敗したこと」じゃなくて、「やらずに諦めてしまったこと」ばかりなんだから。

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