【節約生活#574】節約の深化
趣味で節約生活をはじめてみた。
健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。
節約の現在地点
日帰りではないけれどもほとんど休憩なしに飛行機の行き来で帰省をすることになった。
10年以上ほぼ会うことなく親族が亡くなった。昨日見渡すと親族もだいぶ減っているようであった。
どんな生き方をしたとしても、いずれは死ぬし、未来に名前の残る人の方が少ない。よほどの承認欲求がない限り、名前を残すことにだって意味はない。
そんなことを思いながら、自分の現在地点が何かを考えていた。
自分は節約にフォーカスをしているけれども、他の人はまた別のものフォーカスしているだろう。真面目に取り組むと概念も変化する。
節約についての現在地点を、いったん言葉にして記録しておく。
浅い節約と深い節約
世の中にはやけに薄っぺらい言葉を話す人がいる。
そういう人は「偉い人」の言葉を引用したり、流行り言葉をさも知っているかのように話したりする。最近では検索して目についた言葉を標語にしてみるからたちが悪い。
かつての自分の言う「節約」概念も薄っぺらかった。子どものころは、ケチと貧乏とほとんどイコールであった。貧乏だからケチになる。ケチをすることが節約なのだ、くらいの意味であった。
だからマイナスの感情しかなかった。
親は金銭面で堅実、もしくは素朴な節約者だった。
例えば、ずいぶん懐かしいけれども、風呂の残り湯で洗濯をしていた。それをみて、汚い水を使わないと洗濯もできないのだと変な傷つき方をした記憶がある。
今から考えると、節約イメージこそが貧困だったと思う。
節約という言葉の意味にも浅いものと深いものがある。
ただ、浅さや深さは相対的である。きっと、節約の大家から今の自分の意見を見たら、まだまだ浅いものだろう。
再定義
現在地点を知るために、節約の概念がどのようになっていったかをまとめてみる。
節約生活に挑戦したときは、あまり深くは考えていなかった。ちょっとした趣味程度のものであった。
まだ子どものころからの、ケチの意味合いが残っていたと考えている。生活に制限をかけて貯金をしていくぐらいのイメージであった。
じょじょに考え方が変わってきた。分化して深化してきた。
節約を再定義をしながら3つ説明する。
・価値観を金銭から開放する
・お金と生活の最適化
・生活の駆動を強く、選択肢を増やす
価値観を金銭から開放するという点はまだわかりやすい。高いから良い、安いから悪いではない。他人の目ではなく、自分の価値観に目を向けるようになってきた。
自分が節約を肯定的にとらえるようになったのは、自分の価値観を見つめ直すきっかけになったからである。
ただ、昔のお金の価値観が抜けきっているわけではない。先日も飛行機代が高いなあと思ったけれども、移動の価値などを勘案してのものではなかった。自分にとっての価値で判断することが難しい。
生活のなかで、お金の使用を最適化しているという定義は自分で納得のいくものである。商品やサービスの価値は刻々と変わる。価値はお金であったり、それ以外のものであったりする。その中で、お金の使い方の最適化を、生活面で実施することを節約と呼んでも誤りではないだろう。
最後は文にするとわかりにくい。
節約を実際にはじめてみると、不要なものを削っていくことになる。そうすると大事なものが何かを明確にすることになり、はじめの価値観につながる。
そうすると、自分の価値に沿ったものにお金が使用できるようになる。いわゆるお金の選択と集中である。大事にしているものにだけ、お金を集中的に使う。つまり、やりたいことについての駆動力は増える。
節約をすることで、やりたいものに使えるお金は増える。そういう意味で選択肢は増えていく。
現在、自分が節約をどういうものであるかという理解を3つにまとめてみた。3つとも互いに関係しあっている。
今後どのように変わっていくのかをまた来年あたりまとめてみたい。
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